「マウトハウゼンの写真家」を視聴して

視聴の動機

「考えるヒント(小林秀雄)」の”ヒットラーと悪魔”というエッセイを読み、ヒトラーについてあまり知らないこともあり、ヒトラー関係(第二次世界大戦のヨーロッパ方面)の映画を視聴してみたくなった。

内容、あらすじ

第二次大戦中、スペイン人捕虜を収容するマウトハウゼン収容所という場所にいた写真家の話。当時の写真がフィルムとして残っており、その収容所の出来事が事実ベースで語られる。映画では、捕虜に対する残虐な所業を世間に、写真フィルムを介してどうにか伝えようとする写真家以下様々なスペイン人捕虜の様子や、ドイツ人などが描かれている。

感想、思う事

全体としては、普通の戦争映画。設定として、主人公(写真家)と仲の良い、写真撮影が趣味のドイツ人幹部が非現実的でしっくりこなかった。しかし、この人物はカメラを通じて世界を切り取ることが趣味であり、普通のドイツ人兵士とは、少しずれた人物として登場している。しかし、それ以外はドイツ側の捕虜虐待に対する思想はおおむね一致(採石業を営む社長を除く)しており、多様性を感じない点はリアリティに欠けると思った。

この映画を通じて伝えたい事は何かと改めて考えたときに、「スペイン人捕虜は一人ひとり、しっかり人間である」ということではないか。映画の中で、収容所から脱走を試みたものの捕まってしまい、見せしめに処刑される。処刑後、見物させられていたスペイン人捕虜たち全員が、処刑された人の前を通過するシーンが結構な時間を使って描かれている。人々が見上げる際の表情や視線は十人十色であり、エンドロールで流れる実際の映像では、皆丸刈りで痩せこけて裸で立たされている写真との対比が感じられる。人が人を虐待するとき、通常の精神性では加害者側が耐え切れず、あたかも他の動物等だと思い込む必要がある(=前提)のだと思う。その前提に対するアンチテーゼとして描写されているのだと感じた。

もう一つ、これは映画から少し離れてしまうが、この感想を書いている際に、映画のありとあらゆる描写に対しあまり疑問を持たなくなっているように思える。疑問を持たないという事は、自分の中の常識・思いとのギャップが生じていない、ないしは生じていることに気づいていないことになる。何が言いたいかというと、その状態(=疑問を持たない事)というのは、何も考えていない、感じていないと同義であり、とても面白くない人間(戦争映画では、冷酷な人間?)ではないかという事だ。自分の中に様々な思想、考えを持ち、映画の内容を深堀りできるような人間でありたい。

収容所の所長の息子の誕生日シーンで、ピアノの演奏があり、直後に月夜の描写があった。自分は、クラシックに明るくないが、描写的に流れているのは、「ベートーヴェンの月光」ではないかという予想があたったのは嬉しかった。映画は、人間が作っている以上全てのカット・音楽に意味があるはずで、それをどこまでの粒度で気づけるかも、映画鑑賞を楽しむうえで重要だと思う。感度の高い人間になりたいと思う。

あと、今思い返すと、収容所の所長の息子の誕生日パーティのシーンで、採石事業を営む実業家が息子に対しプレゼントを上げるシーンがあった。プレゼントの中身は、鷲の像であり、ナチスドイツ以前から強さの象徴として用いられてきたらしい。劇中では、息子は全く関心を示さず、父親である所長からのピストルケース(ピストル)に夢中になる様子が描かれていた。現在の子どもと同じ反応かと思う。その後父親がその銃を使って、息子に”英才教育”(スペイン人捕虜を目標に発砲する)を施すシーンがあり、震える息子も描かれている。子どもとは、即物的な思考を持つという描写、所長の狂気性は他のパーティ参加者も引いている(独裁者の暴走)ことを示している。

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