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スピッツのもつ中毒性

もう数ヶ月前の事なのですが、友人からふと
『スピッツのどんなところが好きなの?』と
質問された事がありました。
あまりにも唐突に振られた質問で、しかもざっくりとしたシンプルな問いだったので
『えー、難しいけど…まず声が好きだし曲も歌詞も全部いいから…』というあまりにも凡庸でなんの面白みもない返答をしてしまいました。
それ以来、スピッツの好きなところはもっともっとたくさんあるしあんな単純な答えでは言い表せないほど好きなのに!!
と、適当な返答しかできなかった自分を謎に激しく悔やみ、ふとした瞬間に『あの時の問いに対する正確な答えとは、それでは一体なんだろうか』と自問するようになりました。

スピッツのどんなところが好きか。

ぼんやりと考えたことはあるけれど真正面から向き合った事のない問題を(誰に頼まれたわけでもないですが)言語化する挑戦に、今ここで取り組んでみようと思います。

私はスピッツの新作が出ると、毎日毎日、1日に何度も聴きます。少なくとも1ヶ月から2ヶ月ほどそれは続くのですが、自分に課しているというわけではなく自然とそうなってしまう。何度も聴きたくなってしまうのです。
どうして飽きずに何度も、中毒のように毎日、聴き続けてしまうのか…(そんなのは無論スピッツくらいです)
それは、スピッツの音楽が気持ちいいからに他ならないと私は思うのです。

では、その気持ちよさとはどこからくるのか…

私が思うスピッツの音楽の気持ちよさ、それは言葉とメロディー、サウンドの融合性です。
マサムネさんの書く歌詞は、いつも乗るべきメロディー(音)に実に心地良さそうに、座り良さそうに乗っかっています。
例えば有名なところだとロビンソンのサビ。
〈誰も触れない〉のだ〜〜は、高音に乗って気持ち良さげに伸びて開放感を感じさせてくれます。
これは、笹路さんのアドバイスもあり意図的に高音の部分に母音が“あ”の音を持ってきたと、何かのインタビューでマサムネさんが語っていましたが
こういった、メロディーに乗せた時に効果的に響かせることができる言葉をつかう工夫は、マサムネさんの中に元々あったように私は思っています。
なぜなら、スピッツの曲は今も昔もつい声に出して歌いたくなるし、しかも(歌が下手でも)歌っていてとっても気持ちがいい。どんどん大声になる。
それは正にそのような自然な言葉の乗り方がそうさせるものだと思うからです。
(ちなみに、言葉の乗り方が個人的に一番気持ちよく感じる曲はアルバム【小さな生き物】の中の一曲、【オバビニア】。レッツシンギング。)
そしてさらにマサムネさんがすごいのは、そういった工夫や意図を感じさせる事なくさらっとやってのけ、しかも歌詞全体として意味やストーリーを成し味わい深い印象をしっかり残しているところ。
これは凡人には到底真似できない離れ技です…。
そしてそしてその歌詞とメロディーが、これしかないやろ!という完璧なアレンジを施したバンドサウンドが支えているというところ、そこがスピッツのすごさの最たる部分だと思っています。

スピッツのメンバーは度々、マサムネさんが作る曲が好きだからその曲を生かせるアレンジをするだけ…といった趣旨の発言をしています。
さらっと言ってますけど、それって実はそんな簡単な事ではないと思うんです。
スピッツは特に4人ともバンドという形態に強い拘りを持っているのでアレンジの縛りがかなりあるものと思われます。
そんな中、このメロディーにはこのアレンジだろう!という最適解をバンドマンとしてのエゴイズムなど一切挟み込まずに見つけ出し、あの4人だからそこ成し得る完璧なアンサンブルで演奏してくれる。
三輪さんのギターはメロディーに寄り添うように繊細にハーモニーを奏で、リーダーのベースは時にうねり時に跳ね、曲に絶妙なアクセントと遊び心を加えていく。そして崎ちゃんはタイトで正確なドラミングで曲に安定感と、癖になるグルーヴ感をもたらしてくれる。
それはもう、中毒になって当然というものです。

マサムネさんの曲はあの3人が生み出し演奏するサウンドが一番居心地が良さそう…それはスピッツ4人の関係性そのものでもあります。
だから私たちはいつまでも飽きる事なくスピッツの音楽に気持ちよく身も心も委ねてしまう。
それが私がスピッツ沼にハマって抜け出せない一番の理由だと思っています。

#スピッツ
#オパビニア
#ロビンソン

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