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名前をつけてやるという名のオバケ

スピッツというバンドをこよなく愛する人たちにとって、彼らの2ndアルバムである『名前をつけてやる』は、最も愛されている作品のひとつだと思う。
91年リリースのこの作品は、当時こそ全く売れなかったらしいけれど
後追いで知って、その後出た数多の名盤を押し退けてスピッツの個人的ベストに挙げる人も少なくないし、ロビンソンのヒットで彼らを知り渚の衝撃からスピッツのファンになった私自身もそのうちの1人。
スピッツのアルバムは常にスピッツらしくありながらも、作品ごとに少しずつ趣やカラー、コンセプトが違っているので殆どのアルバムに思い入れがある。
でも、『名前をつけてやる』は長く私の中で特別な存在だった。
それは何故なのか?を、今回ふとしっかり考えてみたくなったので書いてみる。

まず、どうしてこんなにも『名前をつけてやる』
が好きなのか。
第一に、自分が考える、感じる、スピッツらしさが最も色濃く出ている作品だというのがある。
サウンドも、メロディーも、歌詞も、スピッツというバンドの個性が真空パックされたようにギュッと閉じ込められているような気がする。
後からスピッツを知ったクセに、そんな風に感じる。
このアルバムには、スピッツが鳴らしたかった音が混じり気なく鳴っているように感じるし、草野さんが描きたかった世界が独特の言葉で自由に広がっているし、メロディーも素直でピュアで長閑で気持ちがいい。
とにかく、聴いていて気持ちがいい。安心すると言ってもいい。
このアルバムを聴いていると夏の日の昼寝を思い出す。しかも子供の頃の。
かと言って、ノスタルジーばかりを感じさせる作品かと言うとそんなわけではなく
様々なロックサウンドを消化したオルタナティヴな演奏が心地良くもある。素直にカッコいい。

という事を考えながら少し久しぶりにじっくりこのアルバムを聴いていたら、しかし、長らく私はこの作品に囚われていたんだという事実にも思い至った。

いつ頃からだろうか、スピッツの新譜が出る度に、どこかで『名前をつけてやる』と比べて好きな度合いを測っている自分がいた。
正直、私はあんまりポップなスピッツは期待していない。
メロディーやアレンジに少しでも売れ線的要素がある、つまりオルタナティヴなスピッツが薄い曲にはあまり心が動かない。
ほんとはこんなんじゃないはずなのに…と、勝手に売れる前のスピッツ像を期待してがっかりする、嫌なファンだった。

でも、『醒めない』が出た時。
常に進化しながら、今現在のスピッツを彼ら自身が誰よりも楽しんでいる事を目の当たりにし、売れる前のスピッツという亡霊に勝手に囚われていた自分がいる事に気がついた。
いつかまた『名前をつけてやる』のような作品を出して欲しい!という変な願望はその頃から無くなった。
あの作品は、あの当時の彼らだからこそ作れた物であって、今のスピッツには絶対に出せない音や言葉が閉じ込められている。
逆に、あの当時の彼らには絶対に作れない素晴らしい作品を今の彼らは生み出し続けている。
特に、最新作『ひみつスタジオ』には、30年以上バンドを続けてきた彼らにしか出せない深みがありながら、今だに無垢に音楽を楽しみ続けているという信じられないフレッシュさが宿っていて、今度こそ私の中の亡霊をきれいサッパリと取り払ってしまうほどの傑作だった。

『名前をつけてやる』が特別な一枚である事に変わりはない。
でも、一番好きなアルバムかと言うと、もう分からなくなってしまった。
そんな風に思わせてくれるスピッツって
つくづく末恐ろしいバンドだよなぁ。
あんなにほのぼのとしているのにね。

補足:弱気なクセに名前をつけてやる、なんてタイトルをつけてしまうセンスもつくづく凄い。そういう意味でもやっぱり金字塔的なアルバムである事に間違いはない…ですね!


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