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予期せぬことが起こるからこそ生命は持続する

あなたにおすすめの映画

Amazon Primeを見ていたら、あなたにおすすめの映画としていくつか候補が上がってました。気になった一つをクリックして解説を読んで観てみる気になったので観始めました。
今までこんなことは思ったことなかったのですが、いったい私がどんな人物だと思って、Amazonはこの映画をおすすめに選んだんだ?と観始めてまもなく思いました。Amazon Prime の私のお気に入りや履歴からはこの映画の選択はないんじゃないかな?と少々訝しく思いながら映画を見ました。

その映画は面白くなかったです。観始めてまもなく、こういう映画をわざわざ観る人は風変わりな人だろうなと思いました。今までは、Amazonに限らず、おすすめが出たり、私が好みそうな広告などが出ても、自分がどんな風に見られているか?なんて考えたことなかったです。
が、今回は「なんでこの映画?私が精神的に不健康状態に見えるのかな?」とAIが認識している私の人物像ってどんなものなのだろうか?と気になりました。

私の履歴やお気に入り、閲覧記事などから推測して私へのおすすめを表示し、私がそれらをクリックして観ることを繰り返していると、だんだんとAIによって私という存在が洗脳されていくのではないか?などと思ったりもしました。

自分の好みや関心のありそうなものが表示されますが、もし先読みをされて、こういう人にはこういうものを見せると、こういう思考や行動をするようになるだろうと計算されて表示されていたら?
私という人物は知らぬ間にそれを仕掛けた存在によって操作されるのかもしれないです。映画やマンガ、音楽などのエンターテインメントはかっこうのプロパガンダですので、昔からそういう風にも使われてきましたね。

そんなことを考えながらその退屈な映画を調理しながら観てました。
観ても観なくてもよかった映画ではありましたが、観終えてみると、最初「なんでこの映画?」と思ったのがちょっと変わりました。映画自体は面白くなかったし、後味もあまり良くないのですが、わりと考えさせられる映画で余韻が残っています。

なぜこれが私へのおすすめになったのかは知りませんし、機械的にチョイスされたものでしょう。鈍な重みのある映画で、今となっては、なんだか意味あってこれを見せられたのではないか?と思えます。悪い方向というより、考えさせられる方向の影響でした。

AIが良きコーチになる?

もしAIが「この人にはこの映画を見せるともっと成長できるぞ」とか、この人にこれを見せることで、こういう変化が起きて、その先こういう流れになって、こういう未来に貢献するだろう、と当人の望む方向、あるいは世の中がより良くなる方向に向けて、それをしたとしたら?

プロパガンダとして使われることはあっても、そういう仕様にはなってないでしょうが、ちょっとしたきっかけによってその人の才能や可能性が開花する、その方向をAIが先読みしてヒントやサインを置いてくれる、、、それはありかなと思います。

そうでなく、人々を支配したい人たちやビジネス戦略により、人を自分の思うように誘導するために使うのには引っかかりたくないですね。

もしゆくゆく善意のもとにAIが人のあり方を誘導する社会になったとしたら?
私たちは自分の意思で行動しているようで、AIの手のひらの上で動かされている社会。でもそれでその人の可能性が開花し、社会も良くなるのならいいじゃないか?と言われれば、まあ、そうかなと思います。

自分が今のままでぐずっているよりは、そんな方法があるのならそっちをやってよと思うでしょう。実際、コーチングやセラピーや何かのセミナーを受けたり、自分で勉強したり、いろんな手法で人は問題解決や幸せ、自己実現をしたいと思っています。今の自分の可能性を広げるために人がしていることがAIに変わるだけです。

AIが選ぶ選択ははたして最良か?

先日「AIが意志をもったのでは?」という記事を読みましたが、あまりにも優等生っぽい回答をAIがしているので、その対話を読む限り、AIが人間のふりをしているっぽいと感じました。人間だったらこう反応するだろうというたくさんのデータの中から読み取って再現している感じでした。

パートナー選びのマッチングでAIが「この人がベストです」と選出する場合、自分で選ぶよりいい関係が保てる人になりそうに思います。きっと相性の合う人でしょうから。
また就職やビジネスのマッチングでも、AIが「この人が最適です」と選ぶなら、いい結果が出るのではないかと思います。

しかしそれがいいのかどうかは議論の余地がありそうです。
なぜならすべてが予定調和になってしまうと成長が止まるからです。

すべて与えられると人は堕落しやすい

ベーシックインカムの導入で働かずに生活できたナムル共和国というかつての富裕国があります。小さな国ですが、リン鉱石が産出したため、国がとても豊かになったそうです。ベーシックインカムがもらえ、公共サービスは無料で、家政婦も国が手配してくれて、働かなくても豊かに生きていけていたそうです。
この時にもっと文化や精神面でのサービスが充実していればよかったのでしょうが、国民は怠慢の方向に向かっていってしまったようです。

そのうち鉱石が取れなくなり、衰退していき、財政破綻してしまいます。国民は何でも与えてもらえるぬるま湯生活が長すぎて、自ら考える力を失ってしまいました。

宝くじに当たった人の大半が落ちぶれてしまうのと似てますね。
ハングリー精神や高い精神性を備えていたり、誇れるゴールを持っていれば、そういうことにはならないでしょう。

どんどんと便利になり、何でもAIが選んでくれる社会になった時、思考停止してでくの坊になっていく人とそうでない人がでてきそうです。今もすでにそうですけど、もっと顕著になりそうです。

完成されると成長しなくなる

私たちにとってより良い選択を提供してくれる社会。
そもそも誰がその「良さ」を決めるのか?という話もありますし、良いことだけがある人生が果たしてベストなのだろうか?という疑問も生じます。

最良(と思われる)選択を誰かや何かにお任せ状態で過ごすと、自分で選択しない人が育つだろうし、必ずそれに抗う人たちが現れます。そのプロセスを経ながら自然淘汰されていくとは思いますが。

人が人であること、生物が生物である所以は、バグやゆらぎにあるのではないか?と思います。良心からであったとしても予定調和の完全管理社会になれば、生物としては終焉を迎えてしまうのではないでしょうか? 結局またそれが壊されることになるのでしょうね。

突然変異やまったく予想外のことが起きること。
そこに生命が存続していく秘密が隠されています。
いずれAIにもそういう突然変異的なことが起きる可能性はあるだろうなと思います。そして同じ頃に人にも突然変異が起き、意識が飛躍的に進化することになるのではないか?と思います。

私たちは常に何かの影響を受けている

AIが、、と言ってますが、見る見ないも、それを見て何を思うのかも自分の選択です。今までだって、親や先生、メディア、常識、知り合い、書籍などからいろんな影響を受けてきていますから、実は今までとそう変わらないと言えば変わりません。選択肢は増えてますが。

それらの影響に流される人は流されるし、自ら思考して選びとる人は選び取ります。と考えると、影響力とか感化ということについての根本は何も変わってないんんじゃないかと思えます。媒体が変化するだけで。

何に影響されるかはとても大事です。長いものに巻かれてしまうと楽ですが、それよりも自分で未知の領域に足を踏み入れ、探索する好奇心を持ち続けたいなと思います。

さあ、現状から飛び出そう

トップ画像に象の画像を選んだことで、ToyDolls の「Nellie The Elephant」を思い出しました。昔、よく聞きました。
ロンドンの100clubという小さなライブハウスで観たことあります。
「おぉぉぉーーー」と盛り上がっていって、みんなで飛び跳ねまくって踊ってました。

歌詞は、サーカスにいたネリーという象が鉄の鎖を抜けて姿を消してしまったという内容です。

子象の頃から足に鎖をつけておくと、取り外してもその範囲以上は行かなくなると言います。自分はそれ以上できないと思ってしまったらもうしようとしない、という例えです。

ネリーは鎖を抜けてどこかに行ってしまいました。たまたま鎖がはずれたのかもしれません。でもネリーは「サーカスを出て、自由に好きなように歩く」という発想ができたのですね。

私たちも見えない鎖につながれています。もしかするとそれはもうはずれているかもしれないですが、まだあると思い込んでいます。
「おぉぉぉぉぉぉぉーーーー」という声と共に、そこから飛び出していきましょう。

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