いとこ会

今日はだいたい10年ぶりくらいにいとこ四人で集まった。だいたいというのは、もはやいつから会っていないのかすら四人共把握出来ない程に集まってもいなかったためである。
元々は、いとこの家に年始の挨拶で集まる事が正月の恒例行事であり、一年の始まりであったのだが、とある事情をきっかけに集うことを辞めてしまい、場所を失ったいとこ達は集うことが自然と無くなってしまった。
時を経るにつれ、私は子どもが三人授かったりしたこともあり、ライフスタイルの変化と共に、いやライフスタイルの変化を理由として集う発想すら失っていってしまった。
そこから気がついたら10年経っていた。というのが正直な感想である。お互いに京阪神に住んでいるので、集まろうと思えばいつでも集まれたはずである。
きっかけは些細な事で、母親達姉妹が久しぶりに集まったといとこがLINEで写真を送ってくれたことで、ふと「あれ?随分と集まっていないな。下手すれば10年だぞ。」と我に帰ったのだ。
あれだけ毎年会っていた、自分達は仲良しな親戚である。と思っていたはずなのに、気がついたら10年。恐ろしくなった。時の流れの速さと残酷さに。人は意識しないと、「何となく」で10年が過ぎていく事に。
これはいかん。と弟と従兄弟に連絡をすると、皆同じ様に感じていたのか集まることに快諾してくれた。
10年ぶりに集まったのにも関わらず皆の風貌に大きな変化は無く、打ち解けるのにも時間は要らなかった。だからこそ、会わなくても平気なのだったんだろう。
いとこ会が進むにつれ、意外なことが起きた。弟との距離が深まったのだ。これはとても想定外の出来事だった。
私たち兄弟は私が兄らしい事を何一つして来なかった関係もあり、決して仲良し兄弟では無かった。とは言え、弟のドライな性格のおかげで仲が悪いことも無かった。年に一度、正月に会うのがちょうどいい距離感の兄弟。勝手にそう決めつけていた。
ところが弟との会話の中で私と父への憎悪に似た感情や、反骨精神をバネにしてきた事。彼にとっては父と私は同じ穴の狢であり、忌み嫌いながらも無碍にも出来ない、とても厄介者だったとの事。私には知るよしも無い苦しみを知る事となったのである。
弟と父がそもそもソリが合わないことは、一緒に暮らしていた遥か昔にも感じていた。私は自由奔放で身勝手に気ままに生きているのに、真面目に生きている弟が父に怒られている場面を何度も目撃した。同じ様な事をしても、私は怒られないのに弟は怒られる。なんて場面もあった。弟からすれば、さぞかし理不尽な話であったと思う。ただ、子どもの頃はそれが普通でそれが我が家なのだから、疑問に思うことも無かった。
理不尽の蓄積は彼の人格形成に影響を与えて当然であるし、父への憎悪も頷ける話すである。
それら全てはあくまでも、改めて冷静になって過去を振り返ったからこそ分かる話であり、
元々がドライな関係の兄弟が何の機会も無く過去を振り返るなどするはずもない為、今日まで理解することも無かったのだ。
今更どうしようも無いのだが、彼への懺悔の気持ちが芽生えた。彼が求めるかは別で、押し付けがましくてもいい、兄として肉親として出来ることをしたい。贖罪したい。そう思えた。
過去と向き合い、未来へと進む。

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