成長か打算か

一昨日から昨日の朝にかけて夜勤だった。
途中までは順調に流れところどころ問題は発生したものの、解決するといった展開で、問題の起きやすい夜勤としては上々であった。
12月末あたりから入れ替わり立ち替わりスタッフがコロナウイルス関連で出勤停止になっており、現状は二名が出勤出来ないことでのシフト調整を余儀なくされている。
昨日はシフト調整の煽りが強く出ている日であり、元々のシフトからマイナス二名となっている厳しい一日であった。
そこに来て深夜三時過ぎ、普段なら鳴ることの無い外線が鳴った。早番のスタッフの娘が発熱と咽頭痛を訴えており、極めて疑わしい様子である。との連絡であった。
これでマイナス三名、詰みである。シフトに再調整を加えるが、なんとか無理をして形にしているだけのものになってしまった。
私の夜勤は明けない。当然の様に残業となるのだが、いつ帰れるのか分からない残業が心理的な負担となり、少しずつ私を心身ともに蝕んでいく。
とはいえ、周りも大変なのは同じこと。落ち度や無駄な動きがあったとて、それを叱責したところで上手くいく訳では無く、その場はやり過ごした。
私の元来の仕事に対する考え方のベースは、「力無きものは去れ」であり、
強者優遇、弱者冷遇であった。
努力は報われ、失敗は叱責され改善するべき。というのが根底にある。
しかし、マイナス三名のシフトは緊急事態かつ異常事態であるため、力無きものが去ると更なる崩壊しか迎えない訳で、
そこで必要なのは、お互い全力を出し合って支え合うこと、であった。
なので、私の考え方はその場においては正しいとは言えない。叱責したい気持ちは横に置いておき、出来ることをこなしていく。
11時過ぎに外線が掛かってきた。深夜に連絡をくれたスタッフの娘の検査結果が陰性であった。との事だった。
良かった、ようやく私の夜勤が明ける。疲労に蝕まれた私の心に光が差した。
帰宅すると、泥の様に眠りにつくのであった。
少し時間が経ち夜勤を振り返ると、信賞必罰の考え方は正しいのだが、
状況によっては必ずしも正しい訳では無く、むしろ既に全員に等しく罰は与えられているのであるから、足りないのは励ましや高め合うことである。という視点であった。
打算かもしれない。しかし、視野を広く持つことは成長であり、これからも状況に応じた正しい判断をする事で打破していきたい。

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