私は鬱である。
そう気づいた、気付かされたきっかけは妻からの「何がそんなに不安なの?」と、会話の中で言われたことだった。
なんだか分からないけれど、常に無性に不安である。その理由や原因に対して、深く考えたことが無かった。
故に、よく分からない不安な気持ちを、何かで補おうとする行動で解決してきた。中途半端に補えてきたからこそ、漠然とした不安が常にありながらも日々をやり過ごす事が出来ていた。
しかし、妻からの言葉が妙に引っかかる。私は何でこんなに不安なのか。何に不安を感じているのか。変わらない日常、本来ならば不安を感じる要素は無いはずである。では、何故なのか。自分を掘り下げて考えてみた。
二年と半年前に転職をした。前職からは同業種への転職であったため、転勤や転籍に近い感覚での転職であったが、私の中では常に転職を失敗した感覚が付き纏っていた。
前職と比べて、全てが劣っていた。環境・人間関係・収入、そのいずれもが劣っていた。
私は、転職した意味を見失ってしまっていた。愚かな選択をしたことで自分を責めた。自己嫌悪に陥った。
コロナで人付き合いが減った。特に飲み会は皆無と言って良いほど無くなった。人との関わりがどんどん減っていく感覚が少なからずあった。
友人が離婚した。今どき珍しい話では無いのだが、その友人は私が結婚する動機を与えてくれた、結婚の良さを伝えてくれた友人であっただけに、私にとっては特別な離婚であった。
社会情勢が不安定になった。特にコロナ・ウクライナ戦争などが重なり合ったことで、予測出来ない不安定さが生まれた。
主に四つの原因が重なり合った結果、気づいたら鬱になっていた。と言っても側から見たら私のことを鬱であると認識出来る人は皆無であろうし、鬱症状に苦しんでいる人からすれば鬱を語るな。とお叱りを受けるであろう。
しかし、私は鬱である。元来の私をベースで考えたら、人一倍能天気であり、自信過剰気味であり、落ち込みにくい要素を兼ね備えてはずである。故に、鬱診断などの自己テストの結果でも鬱とは程遠い結果しか出なかった。
今や自己テストの結果は中度〜重度の鬱診断。恐らく受診すればなんらかの処方を受けるのだと思われる状況である。
が、元来のベースは人よりも高い位置にあった為に、少し落ち込み気味の人程度の位置に状況としては下がっただけとなり、
ものすごく元気で明るい人が、たまに暗い時がある。程度になっただけであるため、鬱であるとは気づいては貰えないだろう。自身でも鬱だとは考えもしなかった訳であるし。
私にとっては、自身が鬱である。と自己覚知出来ただけでも少し前進である。不安の原因に辿り着けたので。
さぁ、前を向こう。理解も共感もされない鬱と向き合おう。

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