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パーフェクト・デイズ

ヴィム・ベンダース監督、役所広司主演の「パーフェクト・デイズ」を見る。あまりに作品の素晴らしさに、はからずもパンフレットを購入。俗世の欲を離れた美しい世界。しみじみしながら自宅で読む。パンフレットの最後にこの映画をプロデュースしたのが電◯とユニ◯ロの関係者だと知り、シュンとする。

乙女だと思っていた相手がゴリゴリのプロだったような、清い恋だと思っていたのが、単にタカられていたことに気づいたオジのようなそんな感じでもある。思い返してみれば、作品は素朴な生を謳っているが、同時に資本主義が抱える本質的な闇の深さはきれいに取り除かれている。都市に生きる物語であるにも関わらず。

なんてことはない。初心(うぶ)な私が悪いのだ。とはいえ、作品の価値の7割位は、作品の背景が持つ物語で決まるともいう。不倫で評価を落とす俳優や正体を明かさないアーティストの作品のように。ものを売るときにもいわくつきの物語をひねって価値づけするのは定番であろう。

その意味で、◯通とユニク◯が、という作品背景にある物語は、私の中で作品の価値を下げる方に働いてしまった。知らなければよかったと思う。いや、初心な私が悪いのは分かっている。あるいはそんな記号に引っ張られる頭も悪さが悪いのだというのも分かっている。しかし、美の対象の背景に、求道的な数学者、岡潔や俗世を離れた雰囲気のジャコメッティみたいなものを求めるのは無理なんだろうか。

消費されえないもの、お金に還元されないもの、消えて費やされないものの中で、生きていけたらとあがきたい。かけがえのないものに囲まれて、かけがえのないものとして、生きたい。あの映画の中で描かれた主人公の生活のように。

https://note.com/joyjoy83/n/nf54e2ba9cf63


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