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不登校さんが塾へ来られなくなった時の話

※コンテストのタグはつけていますが、主催者の記事なので、審査対象外です。

少し前の話になってしまうのですが。
わたしは不登校さんが通う学習塾で講師をしていました。

生徒さんたちは、高卒認定試験合格であったり、その先の大学受験であったりと、学習塾へ通う目標は様々だったのですが、不登校のために学校に通っていないと言う共通点がありました。

わたしが受け持っていた生徒さんは、当時すでに高校を卒業しているくらいの年齢で、とある目標があり、久しぶりに勉強を再開したいというモチベーションを持って入塾されました。(もちろんこれらは生徒さんの個人情報になるので、ぼやかしていたり、フェイクが入っています。)

その生徒さんと何回か授業をし、お互いの事を話したり、趣味の話をしたりと、授業の時間と同じくらい雑談の時間が多くなってはしまっていましたが、わたしとしてはまずは人間関係というか、お互いの信頼があってこそ授業ができると思っているタイプなので、焦らずこのくらいのペースが丁度いいと思っていたんですね。

ところがある日、その生徒さん、塾に来られなくなってしまったんです。

塾のそばまでは来るのだけれど、塾に入れない。入ろうとすると涙が出てしまって身体が動かない。そんな状態だと保護者の方から連絡が入りました。

わたし、お恥ずかしい話ですが、びっくりしてしまって。楽しく授業をしていた気がするのだけれど、もしやわたしが気づかない何かストレスのようなものを与えてしまったのかと思いまして。本当に一体全体どうしてそうなったのか心当たりがなかったんですね。

それで、その後、カウンセラーさんが保護者の方から聞き取りをしたところ。なんと。

「宿題ができていない」事がきっかけだとわかりました。出された宿題ができず、その後ろめたさから、塾へ入れなくなってしまった、と。

それで、わたし、「へ?宿題?」と思ったんですね。わたし確かに宿題は出していたのですが、「やれるんならやってね~。できなかったらそれでいいよ~。」という温度だったんです。

と言うのも、久しぶりに勉強を再開したって、それだけですごくないですか?そして、そういうチャレンジって、本人が思う以上に負担がかかるんですよね。

6歳から学校に通っていると、そういうもんだと思いがちですし、それに周りのみんなも”普通にできている”ように見えるので、錯覚してしまいますが、勉強をする事って、とっても体力使います。そして、本人の気持ちを無視して、無理やり勉強をさせようとすればするほど、心身への負担がすごいです。

例えば、朝に満員電車に乗る生活をしていると、何か平気で乗れている気になっているけれど、連休明けに乗ると何だかとってもしんどい、みたいな事に近いです。

ですので、久しぶりに勉強をするのであれば、最初の間は、学校での学習に慣れている人だと「こんなんで大丈夫?」と戸惑うほどのゆっくりなスピードで始めた方がいいと、個人的には思っています。

なので、その生徒さんにもそのように接していたのですが、「もしや!ゆっくりペースだと”わたし”は思っていたけど、その生徒には早かったのかもしれない!」と慌ててしまったんですね。

ですが、話を聞いていく内にそうではない事がわかりました。

その生徒さんは、わたしともう一人の先生の授業を受けていたんですね。一日に2コマ受けていて、わたしともう一人の先生がそれぞれ担当だったんです。

で、その先生は、わたしと同じく元教師の先生なんですけども。
「これくらいならできるでしょう?〇〇を目指すんならこれくらいやれなきゃね。」という事を彼女に伝えていたらしいんです。

このセリフ、みなさんはどう感じますか。この段階でわたしが言いたい事はいろいろ山盛りあるのですが、その先生はさらに本当に悪気がありませんと言う顔で、「でも本当に大した量は出していないんですよ?生徒も自分でその量をできるって言っていたし。」ともおっしゃっていました。

この二つのセリフ、そして言葉の中にどれほどのメッセージが含まれているかわかるでしょうか。これを聞いた時に、生徒にこれがどれほどのプレッシャーになっていただろうと、胸が苦しくなりました。

そらぁ、来られなくなるよぉ。自分を責めちゃう気持ちになるよぉ。

このセリフがどれだけ「まずい」か、わかりますでしょうか。これを「当然でしょう?」と平気な顔で言える人は、相手の立場で考える能力が低いです。そして善意の気持ちという包装紙でくるんで相手を傷つける言葉を吐いています。

この「まずさ」に気が付かない人は、教師には向いていません。

さて、そんな事より、生徒さんです。塾へ行きたい気持ちはあるのに、すっかり来られなくなってしまいました。

今日こそは、もしかしたら生徒さんが来られるんじゃないかと、待機するだけの日が続きました。

気持ちとしては、もちろん、塾に行きたいなら行けばいいし、行きたくないなら行かなくって言いと思うんですね。変なプレッシャーをかけて、無理やり来させたり、追い詰めるなんてことは絶対にしたくなかったですし。

でもその生徒さんは「塾へ行きたい気持ちがあって、毎回塾の目の前までは来ていた」んです。だとしたら、わたしにできることは応援しかありません。その生徒さんとお話しできる機会は全くなかったので、お手紙を書くことにしました。

「いつも教室の近くまで来てくれてるって聞いたよ。」

「塾に行こうって思ってくれている、その気持ちがうれしい。ありがとう。」

「もし授業には出たいけど、塾に入るのには少し工夫が必要だなぁと思っているのなら、ぜひとも一緒に作戦会議したいと思っているよ。」

みたいな、こんな内容しか書けず。真心くらいしかお渡しできずですね。自分のチカラ不足をとても感じた手紙になってしまいました。

そうなんですよね。わたしたちが生徒さんの行動を変える事なんてできません。

もし変わりたいのだとしたら、本人が行動するしかありません。

それなのに、こちらが相手をコントロールしよう(こちらに都合がいいように行動させよう)とすればするほど、相手は息苦しくなる(時に追い詰めてしまう)だけなんです。

生徒さんがしたいこと、目指したい事に、寄り添う(応援する)事くらいしか、わたしにはできません。

その後、その生徒さんですね、何とお手紙を出した翌週の授業に来てくれたんです!わたしそれが、うれしくって、うれしくって!本当にうれしくって、感動してしまい、今思えば何かもっとちゃんとした事を言えたらよかったんですが、当時はこんなことしか言えませんでした。

「あなたに会えて、とってもうれしい!」

ちなみにその週の授業から、担当がわたしだけになったので2コマ分その生徒さんと過ごせることになり、ありがたく、まったりペースで授業をしました。

勉強を久しぶりに再開しようとお考え中の方はですね。本当にゆっくりペース、大事ですのでね。自分の心と身体がびっくりしないペースで、まずはスタートし、学習をする習慣を徐々に作っていくことが、結果として継続して勉強する事へつながります。

焦らず、慌てず、勉強をスタートしてみてくださいね。

応援してます!



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