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優しさのキャパ


今日は頑張ってテンキーからこんばんは。
キーボードでカッコつけて書きたいけど、そんなものうちにはないので頑張って誤字脱字をしないように、今日も書けたらいいね。

「限界値」とは
善意が枯渇する瞬間って知ってます?
私がそれを感じたのは、今年叔母が交通事故で骨折した時でした。

日曜日の朝、知らない番号から電話がかかってきたなと寝ぼけ眼で出たら「救急隊員です」と。
こんなモーニングコールはじめて!と飛び起きて、スウェットの前と後ろ反対にして駆け抜けました。
車はベコベコ、廃車確定、こりゃぁミイラみたいな叔母さんをみるのか…!?と震えながら病院に行ったら、ベッドの上で静かに寝ている叔母。本当に安堵しました、普段はあまり得意な人ではないけれど、家族ですから命に別状がないとわかったら安心してTwitter見れました。Twitter。
病院の先生からも「腰の骨が一箇所折れただけだよ、奇跡だねえ」と言ってもらいました。
ただ、どうやら高熱が出ているのに無理をして仕事に行こうとした結果、意識が朦朧として事故ったみたいなので、その日のうちにやるべき保険やら病院やらの手続きは全部私がやりました。やさしいね。

そして数日、色々手伝いをしたり仕事を休んで実家のことを買って出たりと、叔母が無理せず休めるようにと奮闘したんですが、その想い届かず。びっくりするくらい届かなかったですねぇ…今思い返しても少し悲しい。

「骨も折れたし体も衝撃でダルイだろうから、お洗濯とか家事は私がやるからね、先生がしゃがまないでって言ってたし、そういうのもだめだよ」
「じゃあ正座はいいよね?」
「ん?」
「しゃがむのがダメなら、正座はいいよね?」
「腰の骨が折れたのに?」
「なんでダメなの?」

本当に「しゃがんだらしないなら、なにしてもいい」と本気で思って言っていたので、そこから納得させるのに苦労しました。
その後も色々手を回してやってるのに、私のことが気になって結局先生に安静にしてろと言われたのに、なのに、なのに!と怒りが湧いてきました。

こんなのはじめて。
だって怪我人には優しく、普段大変だろうから仕事休んででも、家事や祖父のことなどを引き受けたのに、彼女はまるで「骨折したのに家のことをやる私偉い」とばかりにみんなに言っていましたから、もうそこで流石に疲れ果てて、家のことを手伝うのは言われた時だけにしました。

優しさとか、善意とか、そういうなって枯渇するものじゃない、永遠に湧き出るものだと思っていたのに、

無理矢理後書き

本当はもっと違うことを書きたかった、本当はもう少しまとまった文章を書きたかったなあ。
あとスマホだと個人的にやりにくく感じますね、やっぱり。実家に行ってパソコン強奪したいな。

今日はこの辺で
明日は書けるかわからない(久しぶりに飲み会!)けど、気持ちだけは十分にして今日は寝ます。

またあした、おやすみなさい。



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