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とんでも宿と、木曽・奈良井で出合う

「今日、宿泊の予約をした者です。いま宿の近くまで来ていると思うんですが、道がわからなくて。近くに⚪︎×△があるんですが、ここからどう行ったらいいでしょうか?」

「お名前は?あれ、今日予約されてましたっけ?今日は予約入っていませんが」

え。

寒い、木曽の山中は寒い。手袋をして来なかったのでプラス寒い。このままでは凍ってしまいそう……。「とりあえず行ってもいい?」

木曽の奈良井宿。塩尻から京都へと続く中山道の中でも随一と言われた大きな宿場町。約1kmの街道沿いに330ほどの家屋が並ぶ。奈良井は塩尻から電車で5つ目。長野県の外れにある。雪が見たくて旅に出た。奈良井宿は昨夜、今年初めて雪が積もったという。

一人旅をしていると、たまーにとんでもない宿に出合うことがある。この宿も印象的。高齢のお父さんが一人で切り盛りしている。宿というより、ふつーの家という感じ。

「寒いでしょ」。暖を入れてくれる。居間にはストーブがあり、すでに火が入っている。他にガスヒーターが2台。お父さん、すべてを稼働させた。温かい、というより暑い。心遣いは温かい。

ストーブの上でやかんがしゅんしゅん言っている。居間の天井を見ると、年季の入った梁。建物は松本から移築したという。ここで旅人を迎えて数十年経つという。大黒柱に寄りかかってお茶を飲む。助かった。雪の山中でさまよった挙句、やっと宿を見つけた気分……。

「いやー、ごめんね。もう今年は泊まりに来る人はいないと思っていて、予約受けてたの忘れてた」とお父さん。次に入っている予約は来年の3月らしい。おもしろい。冬の奈良井宿を訪れる人は少ないという。

「みかん食べていい?」居間の隅にみかんが入った箱を見つけて聞いてみる。「いいよ」「ありがとう」みかんは、やや甘い。こういうフランクな感じが好きだ。

「予約入っていないことになっていたから、夕食の用意はないですよね?素泊まりでいいですよ」

「ご飯は用意できるよ」とお父さん。じゃあ、いただきます。寒いからもう外に出たくない。夕食までまだ時間はあるけど、居間のテレビを見ながらのんびりすることにした。

師走の奈良井宿

ぼーっとテレビを見ていると、駅からの道すがら、土産物屋で買った箸のことを思い出した。街道には土産物屋がちらほらある。木曽は、ひのきで有名。良質な木材を生かした櫛や漆器、曲げ物などの工芸品が昔から人気の土地だけあって、木工品を売っている店がある。いろいろな木工品の中から買ったのは、箸。それも日本でいちばん細い箸。

「これ以上細くするとしなってしまう、という手前まで細くした箸です。使い慣れると他の箸は使いたくなるくらい、使いやすいんですよ」と土産物屋のお兄さん。この箸でご飯を食べるところを想像しようとしたけど、想像できなかったので「これください」と購入した。おでんの大根とか、この箸で割れるのかな。箸の方が割れないかしら……とか余計なことを考えた。日本一の極細箸。奈良井の名産品だろうか?「あ、この箸は秋田産です」とお兄さん。なぜ秋田で作られた箸を奈良井で売っているのだろう?謎である。

奈良井宿は、道のところどころに水場がある。手ですくって飲んでみた。軽い飲み口がいい。食事処もいくつかある。奈良井宿は蕎麦がおすすめのようだ。他に五平餅やおやきの文字が店頭に書かれている。五平餅もおやきも食べたことはない。ある蕎麦屋の店頭に出ていたお品書きの中に「とうじそば」というのを見つけて気になった。翌日食べた。

とうじそばは、ざるそばを小さなかごに入れて、煮えたつゆの中でしゃぶしゃぶして食べる。具は、冬季限定の「すんき」。すんきはカブを発酵させたもの。塩や酢は使っていないとのこと。冬場しか食べられないらしい。すんきのとうじそばは冬季限定メニュー。カセットコンロの上ですんきが入ったそばつゆが煮えている。酸っぱい匂いが漂う。そばを付けて啜る。食べてみると、思ったよりも酸っぱくない。つゆの中にはすんきがたっぷり入っていて食べ応えがある。

街道を歩いていると、リースを飾る家がいくつかあった。洒落ている

夕食ができた。馬刺、じごぼうというキノコの小鉢、八宝菜などを用意してくれた。食べ終わっても夜はまだ長い。みかんを食べながら、お父さんと話をする。

冬の奈良井宿は訪れる人が少ないそうで、観光シーズンは春から秋。秋がいちばん人が多いそうだ。そして奈良井の夏は涼しいとのこと。約1000mと標高が高いだけでなく、山から乾いた空気が降りてくるので夏は蒸さず、クーラーなしで過ごせるそうだ。街道に沿って流れる奈良井川では鮎や岩魚などが釣れるという。奈良井宿から南西へ中山道が伸びている。峠を越えて、宿場から宿場へと歩く人もいるという。

木曽は酒処でもある。奈良井宿にも杉の森という造り酒屋があったらしい。いまは改装して宿になっているとのこと。大きな杉玉が目印。街道を歩いていて酒屋に入ったら日本酒の他にワインがたくさんあった。お父さんの話では、塩尻にいくつものワイナリーがあるという。ワインといえば山梨のイメージだったけど、長野でもワインが造られているのか。

翌朝、奈良井宿を歩くために見どころを聞いた。奈良井宿の寺を訪れるといいと言う。大きいのは長泉寺。本堂の大天井絵は見ごたえがあるそうだ。翌日訪ねたが本堂は閉まっていて見ることができなかった。残念。

大宝寺には、首なし地蔵がある。キリシタン禁制の江戸時代に、密かにキリスト教を信仰する人がいたことを伝えるものだそう。こちらは実際に見た。子どもを抱いた首のない地蔵。子どもが十字架らしきものを手にしている。写真に撮るのは不謹慎な気がしてやめた。

駅の近くにある専念寺には、うなり石なるものがあるという。大きな石が夜毎唸りを上げていたらしく、釘を打ち込んで鳴り止ませたという。昔話に出てきそうな話。当時の釘が今もなお打ち込まれているそうだ。

奈良井宿は全長約1kmで、鳥居峠側から上町、仲町、下町の3つに分かれていて、上町と下町は、櫛などを作る職人町。仲町には本陣、脇本陣、問屋があったという。本陣は参勤交代のときに殿様など身分が高い者が泊まった建物で、脇本陣はサブ的な建物らしい。奈良井宿は江戸時代の天保8年に大火があってかなりの建物が焼けた。それで本陣の遺構は残っていないという。歩いてみると仲町は道幅が広く、水場も他より大きい。ちなみに旅籠は5軒しかなかったそうだ、中山道随一の宿場町にしては少なく感じて意外だった。

奈良井宿のまわりは山。「木曽は、ひのきで有名ですよね」と林業の話を聞く。昔、木曽谷では山から木を切り出し、川に流して伊勢まで運んだことや、江戸時代は尾張藩が木曽の檜を保護したこと、さらにその後の、木曽ひのきの悲劇の話……。

左から上町、仲町、下町の通り(たぶん)

「明日、奈良井宿を見たら、その後どうするの?」と、お父さん。

電車で南木曽まで行き、別の宿場町、妻籠宿を見るつもりだと言ったら、「そんなに急がず今回は奈良井宿だけにしたら」と。電車の本数も少ないし、妻籠宿までは時間がかかる。「慌てて奈良井宿を見てもしょうがないよ」と言葉が返ってきた。

奈良井宿の街道に並行して流れる、奈良井川。塩尻方面に流れる。川は長野から新潟を通り、最後は信濃川として日本海に注ぐ

翌朝は快晴。お父さんが教えてくれた寺や名所を見て帰路に着く。塩尻行きの電車の時間が近い。駅へと向かいながら、「また奈良井宿に来なさい」というお父さんの言葉を思い出していた。

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