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【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #18「タケシ」

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翌日の朝。惣一郎はいつも通り、10:30にジムの入口をくぐった。

いつも通りアップに取り掛かるが、なかなか身が入らない。昨夜、若葉から思いがけない言葉をぶつけられ、自分もつい感情的に反論し、二人の会話が三段跳びでおかしな方向に進んでしまって、惣一郎は後味の悪さにげんなりとしている。

「なんや惣一郎。今日はヤル気ナシゾウ君やな。」

突然、後ろから声をかけられ、惣一郎はびくっとする。振り返ると、馴染みのトレーナーのタケシが、二つ折りにしたタオルをぶんぶん振り回しながら、近づいて来る。

「もしかして、女と喧嘩でもしたんか。」
「………」

惣一郎は水筒のぬるま湯を口に含みながら、いつも通りタケシの言葉を黙殺する。タケシもいつも通り、惣一郎の沈黙を手前勝手に引き取って、自分が好きなように、どんどん話を進めていく。
とにかく喋りたくて仕方がないタケシは、無口な惣一郎をしょっちょうカモにする。

「どうせお前、女の前でもあんまし喋らへんのやろ。女は基本、カマッテちゃんやからな。ちゃんと相手してやらなあかんで。そやけどまあ、女の機嫌取るんは簡単や。お前は怒った顔もかわいいな、って言えばええねん。それで女は、コロ、やで。」

「………」

「おれの嫁はんもな、自分からは何も言わへんくせに、なんで察してくれへんの、ってキレるねん。そんなん、はっきり言えっちゅうねん、なあ。そやけど好きな男には、何も言わんでも察して欲しいんねんて。ほんま、かわいいわ、ヒヒヒ…あ、今のはノロケとちゃうで。」

派手な身振り手振りを交え、一人で勝手に盛り上がるタケシに、惣一郎は呆れ返っている。

…なぜこの男は、俺が全く反応しないにも関わらず、的外れな話を延々と続けることができるのだろうか。

惣一郎は、タケシの心理を測りかねているが、この単純な男の屈託ない話を聞かされ続けていると、次第に、自分の鬱屈がどうでも良くなってくる。

以前は、惣一郎の物騒な風貌が周囲から怖がられて、誰からも避けられていたのに、このところ、タケシといい、若葉といい、惣一郎と間合いを詰めてくる人間が増えてきた。たまに店の客から話しかけられるし、仕事仲間からも相談事を持ち掛けられる。

先日など、うめちかを歩いていると、ダンジョンに迷い込んだ老婦人がわざわざ惣一郎に道を尋ねてきて、目的地まで案内してやったら、お礼にキャンディをくれた。

四十過ぎのおっさんが、知らないおばあちゃんから飴ちゃんをもらう。一体どうしたのだろう。惣一郎はいつの間に、親しみやすい人物になったのだろうか。


続く

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