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高層建築と地上の絵 ~感性と技術、人間らしさについて~


ふと目をやると、
高いところ高いところへと、
透明な建物が最新の技術によって建てられていく

一方で地上に近いところで絵描きがペンキで少しずつ絵を描いている。 質量を感じる油絵で、子供も大人も笑顔で過ごす姿が描かれている。
綺麗に整えられた写実的な絵というより、
おとぎ話のような趣きのある絵。

人々は時に建築物の高さばかりを見る。
けれど、それに人間らしさが追いついていなければ、
自動化された無機質な壁に囲まれて、それは苦しいものになってしまう。

自然の青い空すらも見えなくなってしまう。

私も、あなたも、誰もが問われている。
人間らしさとは何か、それを守れているのかと。

ネットが無ければ届くことのなかった人とつながれる時代。
それを野次や批難、叩く事に使うのか、
まだ見ぬ人との希望を見出すことに使うのか。

広い世界を見たときに、
壁の高さに絶望を見出すのか、
美しさの多様性に感動を見出すのか。

どこまでいっても、問われているのは己でもある。

戦うべきは特定の誰か、ではない。

人が集団となった時に生まれるシステムや、
止まらない知的好奇心や技術の進歩、

それはもはや特定の個人の意思ではない。
遅かれ早かれその動きになったのだろう。

でもその時に、
技術があっても、相手を傷つけるかもしれない結果を想像したなら、 "あえて使わない" ことを選べるのか、

あるいは、"より有効的な活用の仕方"を新たに見出し、実践するのか。

一人、なんて小さい。

でも一人が集まって全体が生まれる。


どんなに社会が変わったように見えても、
私は地上付近に描かれる 人間味にあふれた絵を大事にしたい。

つまりそれは感性だ。
人間が人間たる所以(ゆえん)の1つだ。


何を選び取るのか、良いとみなすのか。

そこに一律の答えは無い。
それでも一人一人の選択がある。

その混ざりあう中で生まれる人間模様を、
生きた人間として刻んでいきたい。

小さな声を、それでも上げていく。探していく。
大きなうねりに繋がる日に向かって。

丈二

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