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これでも「交通社会」という? 怒りを超えて寂しく哀愁を感じる今日この頃♥

通院と小さな用事とお買い物と公園でのお散歩にだけと、出掛けた往復10kmほどの区間ですが、残念な場面にたくさん遭遇しました。

正直なところ、気持ち良く運転できる日なんて、皆無だと言っても過言ではないように感じています。


残念な場面・・・

❶当たり屋か自殺かと思った。道路を横断しようとする女性。

車両用の信号が赤に変わり、順次交差点に縦列が集結しようとしている時でした。片側に2車線あるため、手前の車両の向こう側の様子を明確に捉えることはできません。こんなこと以前の問題が起こりました。
横断歩道ではない部分の街路樹の陰から、一人の比較的若い女性が左右を全く視ずに道路へ飛び出しました。道路に出た瞬間に、その女性は、やっと右側へ顔を向けました。と同時に、車が急停止し、その女性も元の歩道側へ一歩戻りました。「一秒」の半分か三分の一程度の一瞬の出来事でした。

女性が道路に投げ出される場面を、目の当たりにしなくて済みました。

急停止した車両のドライバーも、クラクションも罵声の余裕すらも、なかったことでしょう。「静かに死神が通り過ぎた瞬間」でした。

その女性には、詫びる仕草も何も見届けることはできませんでした。焦っていたのでしょうか? 何か考えごとをしていたのでしょうか? それとも捨てるつもりでしたか?


❷アクション映画のような格好いい?バックでの飛び出し!

確かに進行方向、西行きの車両は少な目でした。50km/h制限の道路です。しかし、通行車両は皆無ではありません。そこを私も走行中でした。30mほどの目前で、突然、道路沿いの郵便局から「バック」で飛び出して来る車両(ハザード無し)が目に入りました。当然、とっさに減速を始めました(急ブレーキは避ける主義なので)。自然に近い制動でほぼ停止できる状態になった時に(数m手前で)、その車両は西向きに姿勢を立て直したところでした。さらにウインカー無しで右折レーンへ突入して行きました。郵便局からカラーボールを持って追い掛ける光景は目に入りませんでしたので、強盗事件等ではなかったのでしょう。

アクション映画か何かの見過ぎではないのでしょうか?

歩道を、誰か(自転車は怖い!)が通り過ぎる心配はなかったのでしょうか?

道路上でも、もしも原付や自動二輪車なら「急ブレーキ」で少なくとも横転する可能性がありましたね。それって「俺には関係ない!」「自損事故!」だと言って、済ましてしまうつもりですか?

結果オーライで「何も無かったから。」OKですか?


❸道を譲ってくれたのかと挨拶したら、そこが目的の停車場所?だった。

急な狭い坂道で。相手はタクシー。下り途中。こちらは上り途中。私の目前の車幅が広いため、一時停止をしてやり過ごそうと減速しました(ほぼ停車)。タクシーが左ウインカーもハザードも点灯させずに、やや左に寄せて停止しました。「あぁ。譲ってくれたんだ。」「業務車両なのに優しいね。」と嬉しく想い、そのタクシーを通り過ぎる時に、挨拶の手をあげようとした時に目に入った光景は、「俯いて何か(日報か何か)の書き物」らしい姿でした。

停めるなら最低限のマナーとして「ハザードランプ」の点灯でしょう。
業務車両でありながら最悪の行動です。せっかく抱いた感謝の気持ちは反転し、中指を立てたい気持ちとなりました。

私の価値観としては、絶対にそのタクシー会社を利用することはありません。(これで、一人、お客さんを失いましたね。)


❹道路を塞いで用事を済ませる車両。

T字交差点(とまれ)の停止線を跨いで、停止している車両が目に入りました。あと50cmほど左側に寄せて停めなければ、やり過ごすことも追い越すこともできません。後部座席側の窓はスモークが強く中の様子を伺うことができません。右側のサイドミラーに映る人の姿を探そうとしましたが、明確な判断ができ兼ねました。(主義ではありませが)仕方がなく、クラクションを鳴らそうとした時に、ご高齢者が少し会釈(そう願いたいレベルの顔の表情)してその車両に戻って来ました。右側の窓を開けることもなく急発進で右折して行きました。期待した「お詫びの挨拶」は見逃すとしても、左右の確認なく一気に加速する感覚に、恐怖を感じて許せない想いとなりました。

問題だらけですが、先ずせめて「ハザードタンプ」を点灯させるべきだったですね。それを見ることができれば、「恐らく長時間ではないのであろう。」と歩み寄りの気持ちを抱くことができました。見た目で判断をしてはいけませんが、明らかに「ご高齢者」でしょう。車両の後部には「その旨のステッカー」が掲示されていませんでした。

「どうやって救ってあげれば良いのでしょうか?」寂しくなる時間でした。


❺見通しの効かない道路で平気でセンターを割って突っ込んでくる車両。

カーブミラーもなく、全く見通しのつかないカーブで、勢いよくど真ん中を走り抜けようとする神経が理解できません。相手が私で良かったですね。心構えをしていますし、とっさの場合は車体の左側を山肌に擦り付けて止める覚悟はできています(ミラーに映る光景と車両の位置は把握済みで、車幅感覚は完璧ですからね)。

「その他の危険!」として、カーブ手前で、常に「クラクション」を鳴らすべきですか? あなたも鳴らしてくれますよね?!

車の運転は「くじ引き」の世界でいいのですか?「運」次第ですか?

恐ろしくて、走れませんよ。


❻追い越し禁止(黄色線)で、バスの追い越しを優先させてあげるべきですか?

バス停で停止するバスの後ろに2台の後続車両が目に入りました。先頭の車両は、対向車線を走る私を認識しているはずですが、右ウインカーと同時に車線を越えて走り出そうとしました。

私の後ろには普通に数台の車両が続いていました。これって、私が、「そのバスの追い越しを助けてあげるべきですか?」

百歩譲って(譲る必要もないですが)、もしも私の後ろに後続車両がなく、全くの単独であり、脇道やバスの陰から人や車両が、飛び出す気配を感じることがなければ(よっぽどご機嫌な時ならば)、その横着を許すかも知れません。基本は有り得ないですけどね。


❼右折と一旦停止の直進ではどっちが優先?

私は既に右ウインカーを点灯させて、公園の駐車場へ進入しようとするところでした。目の前に、少し遅れて交差点に到着した車両が目に入りました。そこは「とまれ」、一旦停止の場所です。私の右折より先に通り抜けたかったのか、一旦停止の気配もなく交差点に進入して来ました。

それって、既に立派な「交通違反」ですよ。

私の右折を待ち切れんとばかりに、ギリギリの間際で車両を止めました。

そんなに急いで何処へ行く?

公衆トイレなら、その公園のあなたが通り過ぎた場所にあったでしょう?

少なくとも、そこは抜け道でもなく、急いで時間を稼げる道路ではありません。理解に苦しみます。


❽譲られたことがない?寂し過ぎる光景。

現在の交通社会はそんなに荒んでいるのでしょうか?時代ですか?土地柄ですか?「譲る瞬間」とは、「譲られたこと」がなければ、見出すことが難しいのかも知れません。
その「瞬間」とは、たっぷりの余裕時間の中にあるのではなく、お互いのほんの僅かな「気付き」と「思い遣り」と「粋の良さ」と「機転」と「相乗効果」の中にだけあるものです。相当に意識を向けてその瞬間に向かい合う必要があります。決して身勝手では成立しない世界です。

例えば、よく見かける光景です。私が直進で北へ向かっているとします。相手の車両は南へ向かい、途中で右折しようとしている場面です。私の後方に車両が一台もいなければ、止まって右折を譲ってあげても、そのまま私が直進で通り抜けても、結果は殆ど何も変わることはありません。
ただし、右折しようとしている車両の後方に複数台の車両が、その右折に足止めを食らっているとすれば、私はその右折車両の手前で停止して、「お先にどうぞ。」の「パッシング」、または「左手の掌を上に向けて、腕を差し伸べる」ジェスチャーを相手に見せて、右折を明確に譲ってあげます。
ただし、大切なことは、譲られた方は早くその場を離れたいと「焦り」が生じるはずなのです。したがって、これから進入する交差点の南北方向を通過しようとする「歩行者」「自転車」「原付バイク」または「自動二輪」に意識を向けることができず、事故の可能性が高まってしまいます。
ここは、譲った側も、自車の左ミラーや目視確認を含めて、安全な状態であることを確認してあげる必要があるのです。それでなければ「無責任な譲り」となり、本末転倒です。

これれらの状況を相互に知っておかなければ、単なる危険で無責任な「譲りごっこ」となってしまうのです。

その一瞬を「譲るのか」、「待たせるのか」の判断は、前後左右の人・自転車・バイク・車両の流れ次第ということになります。私の向かう先「北側」の一つ向こうの信号が赤で、複数台の車両が縦列を作っている状態なら、そもそも急いで前進する必要はないですよね。南行きの状況も然り、同様の思考が必要となります。

急ぐ価値、譲る価値(理由)が明確に視えた時だけに「その判断」の意味が生まれてくるのです。

ちょっとした気配りや、思い遣りで、気持ち良く、安全に、安心してお互いに通過する(目的地に向かう、または到着)ことができるのです。

これが全く不要というのなら、「運転免許証」は返納して欲しいという想いになってしまいます。恐ろしくってあなたの傍を走行(通行)したいとは思えません。


何が原因なのでしょうか?

この点は、サークルでの取り組みも含めて、現在の大きなテーマとなっています。私も答えがあるのなら「知りたい」と強く願うところです。

1)心の問題
・焦り。時間に追われる焦燥感。心の余裕のなさ。
・身勝手。自己中心。
・怒り、悲しみ。
・何かへの不信感。不満。
・等々。

2)経験や知識の問題
・教習所で習う以外の予備知識の不足。
・等々。

3)身体能力の問題
・主には、加齢による様々な感覚の衰え。
・等々。

4)運転免許証(運転できること)への価値観。
・単なる移動手段。
・業務目的。
・趣味や嗜好として愛している。宝物である。
・等々。

5)その他
・等々。


届けて意味のあるメッセージって存在するのでしょうか?

もちろん。あります。あるはずです。「これなら万人に届く!」というメッセージを探求中です。その一方で、8,100万人の個々に届くであろう、一つひとつのメッセージを積み上げている段階と言えるでしょう。
地道な活動ですが、思考(試行)錯誤の中で「形」に変えて行く他に手立てはないと思っています。
ここは、正しく、これからの大切なテーマとなっています。
皆さまからのご協力も頂きたいところです。


諦めません!

あの手この手で、口説いてみせたいと切実に願っています。
仮に、8,100万個の「川柳」が必要だとすれば、創作するつもりです。決して諦めは致しません。できれば、形の見える日まで、せめて流れができるまで「使命」として向き合うつもりです。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。


何か、お気付きの「メッセージ」がありましたら、コメント欄にて「お教え頂く」か、または記事の形にして、ご投稿頂けると大変嬉しく思います。

大変お手数ですが、ご投稿の際は「投稿済」の旨と「その記事のアドレス」を添えて、コメントを頂けると助かります。直ちに『身近な車窓から「交通安全を願う声」』のマガジンに登録させて頂きます。

ご協力のほど、よろしくお願い致します。


「誰かの命を救いたい」♥



_(._.)_

※ペコリ _(._.)_ は、誤字脱字(見直し)の確認の印です。
(発見された方は、是非ご指摘願います。真摯に受け止めます💝)


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※この記事の悩みどころ(表現や判断に迷った事などをメモしています。)
・8,100万人免許保有者の「百人百様」「千差万別」となれば、大変なことですね。一人ひとりの心にしっかりと届けたい。その「メッセージ」とは。その「方法」とは。



※参考・引用など


<イメージ写真・動画など>

雪化粧|粉雪|寒々しい光景|ふくろうぼうやさん制作
https://www.photo-ac.com
※Canvaでテキストを重ねました。


以上

「いいね」と感じる部分がありましたら、交通安全を詠う川柳の動画のご視聴と チャンネル登録をいただければ、何よりの励みとなります。 よろしくお願いします。 https://youtube.com/shorts/KY7HOvYrQNM?si=tQS-FYNQkjlvVkXv