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見ているかも知れない「子供たち」のために。で思い留まれるはず。

「えっ~? まさか渡ってしまうのか?!」
立ち往生した列車に痺れを切らせ、遮断機をくぐり、列車の隙間をすり抜けてしまった。
夕暮れ時の帰宅を急ぐ時間帯で無言の30分が待てなかったらしい。
一人の女性が待ち切れずに渡ったことが堰を切り、15人の群集心理が働いて誰も止めることができなかった。

電鉄会社にも問題があるとは思います。例え不測の事態とはいえ、遮断機は降ろしているとはいえ、普段とは違う過度な拘束時間が生じているのですから、状況を説明し遮断機を開放する目途のアナウンスと待機の要請、または状況によっては迂回の要請を行うべきでした。

遮断機の前で待っている人の心境として、何故いつもより長い?事故?故障?開くのか開かないのか?いつまで待てばいい? と苛立ちと焦りが募るのは当然です。

しかし、「自分だけは・・・」と遮断機をくぐってしまった行為は許されるものではありません。

「開かない遮断機はくぐってもいい」と誤認するかも知れない子供たちが何処かで見ていたかも知れません。自分自身のことだけでなく、守らなければならない(誰かの)子供たち、周囲への影響を少しでも思い浮べることができれば、こんな危険な行為することなく踏み止まることができたのではないかと思います。

歩行者の身軽さ故に生じた極めて危険な場面でした。

横断歩道の赤信号でも、いわゆる信号無視の歩行者をよく見掛けますね。「車通りも少ないし」「待っているのもバカらしい」「私は先を急ぐのよ」と言わんばかりに、ひょいと道路を渡ってしまいます。

運悪く走り過ぎる車が現れて事故に発展したらどうでしょう?
青信号で走行している車に対して「運悪く」と表現しなければならないことが、もどかしくって仕方がありません。最悪の事態となっては、ドライバーによる前方不注意などとし絶対的な非として責め立てられることになります。

轢いた車が悪いですか?

今回のニュースを読んでよく分かりました。
「何故にダメだとされることをやってしまうのか?」

「一人ひとりの身勝手さ」、「自分だけは」という心理からなのだろうと。

そして思い留まるための特効薬も分かりました。

「何処かで(誰かの)子供たちが見ているかも知れない」、「真似して事故するかも知れない」、「大人がしっかりと手本を示さねば」と思考の澱みに小石を投ずれば、きっと足が一歩前に進むことはないでしょう。

「誰かのために・・・」

今、不足している気持ちではないでしょうか?


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