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聖徳太子はいなかった!?

今年2024年の7月から、紙幣に登場する人物がすべて交代するようですね。

1,000円札が北里柴三郎、5,000円札が津田梅子、1万円札が渋沢栄一になるそうですが、キャッシュレス化で現金の使用はこれからどんどん減っていくんでしょうに、今さらなぜ切りかえるのか、何か嫌な魂胆があるようにしか思えません。

ともあれ、皆さん、お札に描かれた人物と言われて、まず誰を思い出しますか?

私は、やっぱり聖徳太子でしょうか。伊藤博文やら福沢諭吉やら夏目漱石やらもよく覚えていますが、やはりお札といえば聖徳太子という感じがします。

聖徳太子といえば、私、10数年前に不思議なご講演の仕事をお受けしたことがあるんです。

歴史学者である大山誠一氏を初め数人の先生方によるシンポジウムの記録作成で、そのときは「聖徳太子信仰の成立と展開」というタイトルでした。


「聖徳太子は実在しなかったんじゃないか。」

そんなこと全く考えたこともなかったので、前のめりで話を聞いた記憶があります。

皆さんも考えてみてください。小学校や中学校の授業で習ったのも、飛鳥時代といえばイコール聖徳太子じゃありませんでしたか?

もし聖徳太子が実在しないのなら、彼をベースに説明されてきた飛鳥時代の出来事が根こそぎぶっ壊れてしまいます。十七条の憲法や冠位十二階の制定も、法隆寺の建立も、全部でたらめだったのでしょうか。
 
古代史の研究としても、飛鳥時代については、聖徳太子の内政、聖徳太子の外交、聖徳太子の思想、聖徳太子の美術といったぐあいになされてきているので、それらも全部最初から検証しなければいけないみたいな話でした。
 
それから、もし「本当はいない人をいることにした」のなら、いつ、だれが、なぜ、どうやってその存在をつくったのか、疑問ですよね。

大山先生曰く、聖徳太子は藤原不比等によって『日本書紀』の中でつくられたんだろうとのことでした。

『日本書紀』という書物は、最初の国史として大きな権威を持ち、奈良・平安時代、そして鎌倉時代、中世、近世、明治の近代国家に至るまで、絶大な影響力を保持してきました。その中で日本人なら誰もが知っている<聖徳太子>といういわばブランドのようなものを立ち上げ、根づかせてきたというんですね。

一旦ブランドが生まれると、もちろん、それを金もうけに利用しようとか、権力の維持に利用しようとか、いろいろな人が出てきたことでしょう。古代に<聖徳太子>が生まれてから、僧侶や官僚などの権力者がそれをどう利用しながらブランドとして練り上げていったのか。そこを論ずれば、日本文化そのものを論ずることにもなりそうです。

結局、『日本書紀』でつくり出された<聖徳太子>という価値があって、片やその価値を新たに利用していこうとする人たちがいて、彼らが<聖徳太子>という価値に今までにない要素を足したり、ある部分をより強調したりすることで新しい意味を持たせ、それに主体的にかかわる自分たちの社会的地位や社会的立場を引き上げようとしたんでしょう。
 
ん? これって、何かに似ている気がしませんか。
 
そうです。<SDGs>です。いつからか<SDGs>という価値が編み出され、それを利用しようとする人々の行動や工夫の集積によって、今ではまるで巧妙な宗教のように大きく流行しています。

<聖徳太子>も、超人的な能力を持った実在の人物ではなく、お金や名誉や権力を得ようとする人たちが生み出し、多くの人たちを自分たちに都合のよい方向へ向かわせようとする象徴的なアイコンだったんじゃないかと妄想したりしています。

もし万が一そうだとしたら、それが今の私たちにすら実在の人物として刷り込まれているっていうのはすごいことですよね。

日常の雑務に追い立てられ、ただただ毎日が過ぎ去っていくわが人生の中でも、これが当たり前、これが絶対的な真実だと思っていることを疑ってみる頭の柔らかさを持っていたいものです。

皆さん、根っこから常識をくつがえされたみたいな話、最近何かありましたか?


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