見出し画像

私のなかにある「加害」は、黒い歯茎と白い歯のかたちをしている。

突然だが、私の右前歯は人工物だ。

あれは、忘れもしない小学校三年生の放課後。
学校のロータリーで、ランドセルを背負ったまま、同級生のたっちゃんと追いかけっこをしていた。

ぐるぐるとロータリーを回りながら、小学生特有の他愛もない売り言葉に買い言葉のやり取りをしていたのだと思う。興奮した彼が、突如私の背中を強く押した。

結果、私はその日から「唐突に右前歯二本を失った人の人生」を、予期せず歩むことになった。今回はその出来事を振り返りってみよう。テーマは「人を害すること」についてだ。

実況見分調書

そんなこんなで私は、予期せぬ後ろからの突き上げに対応しきれず、手を突く間もなく、したたかに顔面をアスファルトへ叩きつけた。(あのときほど自分の運動神経のなさを呪ったときはない)

腹を打った鈍い痛みと、それとは違った鋭い痛みが混ざりあう。なんとか上体を起こし手のひらを見ると、そこは鮮血でみごとに赤く染まっていた。

「血が出てるよう」

歯が抜けてしまったことにも気付かず、一番に大量の血に驚いた私は火が付いたように泣き喚いた。冗談じゃなく、死ぬかもしれないと思った。こんなに血が赤いのだから、絶対に死ぬと。(あのときほどハンカチを持ってこなかったことを悔やまなかったときはない。私は持ち物検査におけるハンカチ&ティッシュ忘れの常習犯だった)

痛くて怖くて泣いていた血まみれの私は、空間における異物だった。自分がしてしまったことの深刻さに怯えているたっちゃんをはじめ、私の姿は周囲に居合わせた児童へ相当な恐怖をもたらしていたらしい。みな異様な光景を前にどうしたらいいかわからず、誰も私を助け起こそうとはしてくれなかった。

そのなかで唯一、なんのためらいもなく自分のハンカチを差し出してくれたちーちゃん、元気にしているかな。あのときは本当にありがとう。

そのまま騒ぎを聞きつけた担任の車に乗せられて、私は学校提携の歯医者へと担ぎ込まれた。すでに乳歯の生えかわりを完全に済ませていた私は、揃ったばかりの右前歯とその隣の永久歯をへし折り、完全に失うことになった。

黒い歯茎と白い歯を与えられた子ども

まもなく、たっちゃんのお母さんがたっちゃんと一緒にうちに来たのを憶えている。たっちゃんのお母さんはすごく美人で、暴れん坊な息子の謝罪については手慣れている感じがした。話し合いの内容はあまり憶えていないが、うちの家はそこまで怒ったりする様子もなく穏便に進んだ記憶がある。たっちゃんのお母さんが謝りっぱなしの一方、彼はそこまで悪びれている様子もなく、なんなら椅子に落ち着いて座ることができずにそわそわしていた。

「こんなに綺麗なお母さんに辛い思いをさせても平気でいられるだなんて、たっちゃんは将来絶対にワルい男になるに違いない」と冷静に思っていた私も、そこまで彼に対して怒ってはいなかった。たっちゃんは学級の問題児的存在であり、先生は時折、当時優等生だった私を引き合いに出し、「遠藤さんみたいにちゃんとしなさい」とたっちゃんを叱っていた。だからたっちゃんのことを、どこか不出来な弟のように思っていたのかもしれない。

当時の幼かった私は、自分の顔に傷がつくことの本当の意味を、まだ深く理解できていなかった。

歯は歯茎の中でぽきりと折れてしまっていたため、全摘出後、人工の歯を入れることになった。その結果、神経は死に、そこには黒ずんだ歯茎と、妙に白い人工の歯が二本残った。圧倒的に浮いているその歯は、私の違和感そのものだった。

以来私は全力で笑うと、変に白い歯と、黒ずんだ歯茎が見えるようになってしまった。小学生時代は、悪気なく友達からからかいを受けるようになった。カレーなどの色素の濃いものを食べると、一時的に色が移ったりしてしまう。煙草を吸っている親の子どもから「汚ねえ! 煙草吸ってるんじゃねえの」と謗られて、なんと返したらいいかわからずただ震えていた。自分でなりたくてなったわけではないのだ。ある日突然なってしまったことで、どうして自分がからかわれなければいけないのだ。

思わぬかたちで与えられてしまった自分の特徴を人に指さされて笑われるたび、私はひどくみじめな気持ちになった。そこだけ黒くて汚い歯茎は、父にみるヘビースモーカーのそれのようだったし、妙に白い前歯が、他の歯を汚くみせる。本当に嫌だった。次第に、自分の笑顔自体が汚れているようにも思えてきて、仕方がなかった。

そんな自分の特徴との付き合いが長くなったいま、もう気に留める機会は格段に減ってきた。しかしそれは、歯茎を見せない笑い方をマスターしたり、自分のお金で差し歯の色をナチュラルなものへ変えたり、なによりそんなことを気にしない人に恵まれたりしながら年齢を重ねて、ある程度のこなし方を身に着けたからであって、見た目を気にする思春期には、笑っている自分を見られることが心底嫌だった時期もあった。

加害された人生を生きる

いまはどうだかわからないが、人工の歯は口紅の色がつきやすかった気がする。メイクを覚えた大学生時代、前歯に口紅がついてしまっていないかが気がかりで、人との会話を心から楽しめなかった。パーティなどでさりげなく口紅がついていることを教えてもらうたび、笑顔の影でひっそりと、死にたくなっていた。ならば自分でオープンにしていこうと「前歯の神経が死んでるんです」と冗談交じりに言っても、大抵同情されて湿っぽい空気になってしまい、余計いたたまれなくなってしまうため苦痛だった。

私はどんな人生でも私を大切にしなくてはならない。たとえ他人から、予期せぬ特徴を与えられてしまったとしても。

私は、自分を大切にしたい。しかし、こうしていとも簡単に、人生へ影は落ちる。それでも、加害をうけ傷ついた自分を大事にできるかどうかは、その人自身の手に委ねられている。加害者が「すみません、この人がこうなってしまったのは自分のせいなんですよ」とつねに説明してまわり、私の代わりに傷ついてくれたらどんなに楽だっただろう。

私のなかにある「加害」は、黒い歯茎と白い歯のかたちをしている。
私はたまたま彼を憎んではいないし、さいわい、それに囚われて人生が困難になったりする事態には陥っていない。
しかし、だからといって、彼が行った事実がなくなる訳ではないのだ。

世の中には、これまでの行いに関係なく、人生を狂わされるような事件・事故に巻き込まれた人々が、他者の言動・行動に傷つき立ち止まってしまう人々が、いる。加害の大小を判断する権利を持つのは、世間でも加害者でもなく、その人生の責任をもつ被害者ただ一人なんじゃないかと思う。

私だって、できることなら、起きないでほしい事故だった。
私も、他の人と同じように、一切を気に掛けることなく、無邪気に笑える人生を送りたかった。「ごめんね」と言われて「いいよ」と返事をしてしまうのは、そんな言葉くらいで人生が元に戻るわけではないと、理解しているからだ。

たっちゃん、あなたは、私に治らない傷をつけました。
あなたはその事実をどう受け止め、人生に生かしていますか?

定期的に、小・中学校の人たちとやんわりつながっているだけのfacebookを、いじわるな気持ちで時折見返しにいく。私を傷つけた人たちが「どんな人生を送るつもりなのか」と、よせばいいのに見に行ってしまう。(そういうときは大抵、仕事や色々が煮詰まっていて、暗に自分の責任を自分でとりたくないと、駄々をこねているときの悪習だったりする)

しかし、私もたっちゃんと同じように、どこかで誰かを傷つけているかもしれない。なんなら、誰も傷つけず生きることを成し遂げた人間なんてこの世には存在しないだろう。

この記事を書くことによって、誰かが悲しむ可能性だって十二分にある。もし誰かがそうだと申し出てくれたなら、私は心から謝罪し、これからの人生の糧にしなくてはならない。どう書くかについて、もっと真摯に向き合っていかなくてはならない。

私もこの人生のなかで、先のfacebookにまつわる一連の動作のように、傷つけた人たちからずっと「どんな人生を送るつもりなんだ」と、強い眼差しを投げかけられ、「お前はどうなっていくのか」と、問われ続けるような気がしている。

だからせめて、「よく生き」なくてはならないと、そう思う。
ふんわりとしか書けない自分の筆力がもどかしい。

例えば、加害者の立場からは、過去の過ちと同じような選択肢が出てきたときにそれを選ばないことにはじまって、自分と同じような過ちを犯した他者に同調して、過去の自分を正当化しようとしないこと。被害者の立場からは、「加害」という行為自体は咎められるものであっても、裁く人間は自分ではないとわきまえること。

昨今の窮屈さばかりが際立つニュースを見ていたら、神経が通っていないはずの前歯が痛んだ。その痛みとともに引っ張り出された過去の思い出を、最近の所感とともにここにまとめておく。

歯医者に行ったら、差し歯とそうじゃない歯の間に虫歯が出来ていた。見ためではわからない。いつのまにか私は、細菌にすら加害されていたらしい。たしかに加害も細菌と一緒で目には見えない。目に見えないものを見るための有効な手立てとして、想像力を働かせるための物語や知識が効く。

この黒い歯茎と白い歯の女の物語を読むことで、加害が一人の人間にどういう影を落とすのか、知ってくれる人がひとりでもいるといい。

ともかく、歯医者には行ったほうがいい。人工だろうが天然だろうが、歯は大事にしたほうがいい。麻酔でぼーっとする頭のまま、ゆるっと結んで、終わる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?