「努力せよ」という「呪い」/その正体は怨念―この世を苦しみと我慢で埋めたがるゾンビたちの社会
誰だって最初はこう思って人生は始まる
大好きなお母さんとお父さんに大切にされて
他の人も世界にはいい人ばっかりで
お友達もいっぱいいて
大した事じゃなくても、身近に楽しいことが毎日あって
ちゃんと自分のことを分かってもらえて
そんな世界がだんだん広がっていって
楽しいな 幸せだな
-----------
どこかでこれが崩れる日が来る。
それは生まれてすぐかもしれないし、思春期かもしれない。
運が良ければ思春期か、更年期、あるいは死ぬ直前かもしれない。
考えてみれば不思議なものだ
誰もが同じようにそれを望んで人生をスタートさせるのに、
周りにはそういう人がほとんどおらず、幸せを邪魔され、
ありのままでは立ち行かなくなり、
自分も他人のそれを憎み、邪魔する者へ変わる。
これまでの世はまさに、怨念・呪いのゲームであり、
「ゾンビ」という不思議な概念があれほどまでに説得力を持つのは、
現実の世がそれと似た構造で動いていたからに他ならない。
その呪い、怨念は、人間に見せかけるゾンビと同じように、
「正しさ」や「まともさ」を装って人に喰らいつく。
これまでで最も性悪で、人を呪われた存在にしてきたのは、
ゾンビ共が声高に叫んできた「努力」という言葉だ。
人が何かに打ち込み輝いている瞬間を、本当の努力というならば、
ゾンビ達はそれを利用して概念のすり替えを行った。
「輝いているか?」「イキイキしているか?」といった本来一番大事にしなければいけないところをあえて、見て見ぬふりし、過小評価、あるいは分からないふり、気づかないふりをし、
かけた時間だの、姿勢だの、社会が推奨していることかどうか?だの、
挙句の果てに「我慢の量」「苦しみの量」のことを努力と称しはじめ、
いつしか概念の中心をすり替えた。
そして、ゾンビに噛まれてゾンビになった者が多数派となり、
世の中は「我慢の量」「苦しみの量」で他人を監視したり押し付けるようになった。
だが、ここにきて腐りきった彼らといえど、「努力」を押し付ける根拠が
あまりにも乏しくなってしまった。
社会は飛躍的に発展し、どんなことでも仕事になり、
聖職者から犯罪者から乞食まで、
どんな生き方でもそれなりに生きられるまでになった。
勉強や学歴、結婚や人付き合いが、人生を幸せにするという相関関係すら
もはや怪しくなっている時代
こうなると、ゾンビ達も「攻撃」をするチャンスが減ってきているわけで、
彼ら同士で共食いしあったり、あるいはもはや現実と向き合うだけの力もなく、半ば朦朧とした生活の中で命が尽きるのを待つばかりだ。
既存の「努力」といわれてきたものの95%は紛い物である。
その正体は、自分の生を捻じ曲げられたことによる
呪い、怨念、復讐 であり、
本当に立ち向かうべきものに
立ち向かうことができなかった者の怨嗟でもある。
呪いに満ちたこの世に産み落とされ
苦しみ果てゾンビになってしまった者たちはどうしたらよいのか?
ほとんどの者は、呪いが死ぬまで解けることはない。
彼らは立ち向かうことなく、最後まで誤魔化しの霧の中で生きるだろう。
彼らが、自分の人生を振りかえり、真の問題はいつどこで起こったのか?
本当に立ち向かうべきものは何だったのか?
本当に苦しむべき課題に取り組まぬ限り、その呪いが解けることはない。
そして、機を逃すということが、その問題の解決にとって最大の障害であり、何倍も、何十倍も難しくなるということをそこで知ることになる。
後からいくら頑張っても、ふりほどくことが難しいことがたくさんあると。
あらゆる苦しみを含む現実は、 その瞬間、機を逃さずに直面することが
最も生をゆがめないコツであり、今を生きることにもつながる。
残念ながら、旧世代はほとんどがもはや手遅れなほど、ゾンビに成り果ててしまっている。
だけど、
死ぬ前に気づけて、心優しいゾンビになれたらいいじゃないか。
最後の最後まで、無念を持ちながらも、人を噛まずに生きれたら、ゾンビになってしまったとしても、立派に人を生きたと言えるじゃないか。
呪いと怨念の正体を見破り、罪を悔い改められたら、それはこのゾンビ世界を作った呪われし神にさえ、打ち克ったといえるじゃないか。
僕たちが幼いときに願っていた、美しい世を見届けることができたら、その世界を一緒に作ったといえるじゃないか。
僕は自分自身を、最後のゾンビ世代、生き残りだと思っている。
道中無数に噛まれた傷があり、治し方も、ゾンビにならない方法さえ
たった一人で見つけてきた。
思えば、それがライフワークだった。
それでも死ぬまでにいつか、ゾンビになるだろう。
ほとんどの呪いは解けたが、
僕がまだ無防備な稚児の頃に、親に噛まれてしまっていた深い傷が、
最後に自分をゾンビにするだろうという予感がある。
しかし、同時に、初めて人を噛まなかった
死の間際に力つき、ゾンビになってしまっても人としてもふるまいをした、
ゾンビの世に生まれながら、人を知り、人の世を願い、
人よりも人らしく生きたゾンビとして、
あの世に武勇伝をもっていくとしよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?