「努力せよ」という「呪い」/その正体は怨念―この世を苦しみと我慢で埋めたがるゾンビたちの社会

誰だって最初はこう思って人生は始まる


大好きなお母さんとお父さんに大切にされて

他の人も世界にはいい人ばっかりで

お友達もいっぱいいて

大した事じゃなくても、身近に楽しいことが毎日あって

ちゃんと自分のことを分かってもらえて

そんな世界がだんだん広がっていって

楽しいな 幸せだな

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どこかでこれが崩れる日が来る。

それは生まれてすぐかもしれないし、思春期かもしれない。

運が良ければ思春期か、更年期、あるいは死ぬ直前かもしれない。


考えてみれば不思議なものだ

誰もが同じようにそれを望んで人生をスタートさせるのに、

周りにはそういう人がほとんどおらず、幸せを邪魔され、

ありのままでは立ち行かなくなり、

自分も他人のそれを憎み、邪魔する者へ変わる。


これまでの世はまさに、怨念・呪いのゲームであり、

「ゾンビ」という不思議な概念があれほどまでに説得力を持つのは、

現実の世がそれと似た構造で動いていたからに他ならない。


その呪い、怨念は、人間に見せかけるゾンビと同じように、

「正しさ」や「まともさ」を装って人に喰らいつく。


これまでで最も性悪で、人を呪われた存在にしてきたのは、

ゾンビ共が声高に叫んできた「努力」という言葉だ。


人が何かに打ち込み輝いている瞬間を、本当の努力というならば、

ゾンビ達はそれを利用して概念のすり替えを行った。

輝いているか?」「イキイキしているか?」といった本来一番大事にしなければいけないところをあえて、見て見ぬふりし、過小評価、あるいは分からないふり、気づかないふりをし、

かけた時間だの、姿勢だの、社会が推奨していることかどうか?だの、

挙句の果てに「我慢の量」「苦しみの量」のことを努力と称しはじめ

いつしか概念の中心をすり替えた。


そして、ゾンビに噛まれてゾンビになった者が多数派となり、

世の中は「我慢の量」「苦しみの量」で他人を監視したり押し付けるようになった。


だが、ここにきて腐りきった彼らといえど、「努力」を押し付ける根拠が

あまりにも乏しくなってしまった。

社会は飛躍的に発展し、どんなことでも仕事になり、

聖職者から犯罪者から乞食まで、

どんな生き方でもそれなりに生きられるまでになった。

勉強や学歴、結婚や人付き合いが、人生を幸せにするという相関関係すら

もはや怪しくなっている時代


こうなると、ゾンビ達も「攻撃」をするチャンスが減ってきているわけで、

彼ら同士で共食いしあったり、あるいはもはや現実と向き合うだけの力もなく、半ば朦朧とした生活の中で命が尽きるのを待つばかりだ。


既存の「努力」といわれてきたものの95%は紛い物である。

その正体は、自分の生を捻じ曲げられたことによる

呪い、怨念、復讐 であり、

本当に立ち向かうべきものに

立ち向かうことができなかった者の怨嗟でもある。


呪いに満ちたこの世に産み落とされ

苦しみ果てゾンビになってしまった者たちはどうしたらよいのか?

ほとんどの者は、呪いが死ぬまで解けることはない。

彼らは立ち向かうことなく、最後まで誤魔化しの霧の中で生きるだろう。


彼らが、自分の人生を振りかえり、真の問題はいつどこで起こったのか?

本当に立ち向かうべきものは何だったのか?

本当に苦しむべき課題に取り組まぬ限り、その呪いが解けることはない。

そして、機を逃すということが、その問題の解決にとって最大の障害であり、何倍も、何十倍も難しくなるということをそこで知ることになる。

後からいくら頑張っても、ふりほどくことが難しいことがたくさんあると。

あらゆる苦しみを含む現実は、 その瞬間、機を逃さずに直面することが

最も生をゆがめないコツであり、今を生きることにもつながる。


残念ながら、旧世代はほとんどがもはや手遅れなほど、ゾンビに成り果ててしまっている。

だけど、

死ぬ前に気づけて、心優しいゾンビになれたらいいじゃないか。

最後の最後まで、無念を持ちながらも、人を噛まずに生きれたら、ゾンビになってしまったとしても、立派に人を生きたと言えるじゃないか。

呪いと怨念の正体を見破り、罪を悔い改められたら、それはこのゾンビ世界を作った呪われし神にさえ、打ち克ったといえるじゃないか。

僕たちが幼いときに願っていた、美しい世を見届けることができたら、その世界を一緒に作ったといえるじゃないか。


僕は自分自身を、最後のゾンビ世代、生き残りだと思っている。

道中無数に噛まれた傷があり、治し方も、ゾンビにならない方法さえ

たった一人で見つけてきた。

思えば、それがライフワークだった。

それでも死ぬまでにいつか、ゾンビになるだろう。

ほとんどの呪いは解けたが、

僕がまだ無防備な稚児の頃に、親に噛まれてしまっていた深い傷が、

最後に自分をゾンビにするだろうという予感がある。




しかし、同時に、初めて人を噛まなかった

死の間際に力つき、ゾンビになってしまっても人としてもふるまいをした、

ゾンビの世に生まれながら、人を知り、人の世を願い、

人よりも人らしく生きたゾンビとして、

あの世に武勇伝をもっていくとしよう。

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