ディズ〇ーランドの後ろ側

自分の外にあるもの、すべてが楽しくて、煌びやかな世界に見えた。

気づいてしまうまでは。

大人になれば世界が広がっていく。やれることも増えていく。すごい人がたくさんいて、面白いこともたくさんある。


友達・勉強・部活・社会人・結婚・子育て・出世・子供の結婚・孫

無限のクエストがあり、それぞれのステージに凄い人達がいて、そこにいけば、人間的成長の場があるように思えた。

楽しい恋愛があったり、友情があったり、それ以外でも出会いがあったり、

お金を稼ぐ方法を見つけたり、それで経済的自立を果たしたり、

有名人になったり、お金持ちの仲間入りをしたり、テレビに出たり

それらが全て人間的な成長であり、すごいことであり、満足できるものであるということを疑うことが無かった。

その結果、毎日が辛くても、いつかそれに辿り着ければ・・とか、逆に自分がそれらの基準でみじめだったとしても、それを「バネ」に頑張ることもできた。

自分にはまだまだ、無限にやることがあるのだと。

自分に無いものを持ったあらゆる人が、すごい人に見えた。

あらゆる「すごい人」の話を目を光らせ熱心に話を聞いた。

勉強のできる人、筋肉質でスポーツのできる男、面白い人、誰とでも上手くやれる人、

高そうな車。 友達が多そうな人。 弱い所が無いかのように強気な人。

子育てをしている夫婦。

付き合ったことのない派手な女、不思議とそれを連れた男。

デカい組織の権力者、政治家、講演をするような様々な立場の第一人者的な人

明らかに何もとりえがないけども人生で迷っていない雰囲気をした人 

やくざのような強そうな悪人にまで、なんだかすごい人だと思う始末だ。

そんな日々を続けていくと、一つまた一つと、彼らを抜いていくようになる。 それを人々は「努力」というらしい。

けれども、別に自分の毎日のソレを努力といって美化する気にはさらさらならなかった。別にいいことをしているとは全く感じない。

抜いても抜いても、基本的に下を見ないから、気づかない。

いくらでも上はいる。それをお手本とかにして毎日進むだけ

決して、羨ましいというのが理由でもない。「やればなれる」ことは分かっていたからそもそも羨む必要がないし、「やって損はない」のでやるというだけ。

そして、後から振り返れば、「それをやめると気づいてしまう」からやっていたのだ。

そして、世間でいわれるほとんどのことを達成し終わったとき、(結婚や子供など、後戻りできないことを除く)とうとうそれを疑うときが来る。

いや、薄々気づいては、いた。すっきりしない感覚はあったのだ。

だけれど、それを否定する人達にはそれ以上の嘘を感じていた。

ただできないことを言い訳しているんじゃないか?と。

そして世間ではそういう扱いをされている。

少なくとも、「彼ら」の在り方は違う。彼らが誤魔化していることは若い時分でもわかった。

だから実際に達成して、自分で確かめる以外に無かった。

登り切る前にはもう見えてきていた。眼下に広がる光景は、世間での話とは全く違った。

それら全てが疑わしい

お金、友達、結婚、人気、評価、安定、他いくらでもある世間での幸せの基準。

どれもこれもが歪んでいて、その場その場、その基準その基準で、都合よく歪 ん で い る こ と に 気 付 か な い ことによってのみ、成立している。

上から見ればはっきりわかる。それぞれの場、それぞれの界隈、それぞれの基準を都合よく使い分け、妄信し、矛盾を見て見ぬふりをし、隠し切れない矛盾を「人それぞれ」だの「人は矛盾を抱えた生き物」だの、「大人だ」といって相対化できてもいない言葉のトリックで煙に巻く。

そういう歪みとずらしによって、金も恋人も結婚相手も家族も友人も法律も、すべて成立させているのだ。悪いことは認めてもずるいことは認めずに。


結局、この世界を「すごいもの」、他人を「すごい人」だと思わないと、この世界が「みすぼらしい偽物しかない」ことに気付いてしまうから、その絶望を防ぐために、努力をしていたのだった。

世界で言われていること、行われていることと、たどり着いたものは全くの逆であった。

自分を保つために他人を下げ、自分を保つために人をだまし、自分を保つために自分に都合よく思い込む。 これが一般的な人間なのだとすれば、

自分はずっとその逆、自分を保つために他人を上げ、自分を保つために人を信じ、自分を保つために自分を批判していたのだ。それによって希望をつなぐために。

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すべては世界のみすぼらしさと嘘臭さに気付かずにいるために。世界がみすぼらしくないことを証明するために。みすぼらしい世界に一人放り投げられたのだと気づかないめに、ほぼ全てをやり切ったのだった。


どの本が、どの人間が、どの神が、それを一度でも教えてくれた?

この世界のどこにそんな概念や言葉があった?

たったの一度もないだろうよ。


今日も嘘臭い世界が、よそよそしく動いているのを舞台裏で眺めている。

たまに一緒に遊ぶけどね。



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