人の自由の境地はまだまだそんな着地点ではないぞ

これまで人類史上最も自由だったのは誰だろう?

無名の人ならどんな人だったろう?

また、空想上でもいいから最大に自由を表現したものは何だったろう?

その中に真の自由への到達はあったろうか?到達した人はいただろうか?


ここでわしが断言しよう。空想のそれ、特に日本産のものはなかなかいい線をいっておるが、現実世界でこれまであったどの人ですら、これから来る自由から見ると、全く魅力を感じないほどにみすぼらしいものであると。

内面の自由で言えば、ゴータマ(釈迦)だったりイエスだったりというのは、ほぼその時代のカンストレベルまで逝っていただろう。

だけども肉体・環境・他人・自然、動物、物質、物理、、感覚、美的感覚、影響力、摂理、調和、、、そういったものを総合して捉えたとき、彼らは究極の境地まで至っていたか?といえば俺にはまったく違うように感じられる。

初めて彼らのことを知ったとき、立派なのかもしれないが、どこか我慢臭と逃避臭を感じたのではないか?俺と同じようにあなたも。

我慢と逃避の臭い、それは捉えきれていない何か、抗いきれない何か、調和しきれない何かがあったからであり

そういった臭いがするのはその証左以外の何物でもない。もちろん後世語り継いだ人間の解釈の間違いやずれがあったとしても、だ。

これから訪れる自由で開放される主要なものを列挙しよう。それらの概念自体がふやけて無意味になり消えていくことだろう。

職業、趣味、訓練、教育、友達、結婚、遺伝子、経営、収支、借金、税、など

急かしたり脅したりするもののほとんどが無くなるので、人は劇的に優しくなることだろう。

そして、不平不満、嫉妬、蔑み、恨み、エナジーバンパイアが減り、誹謗中傷、悪口、人の足を引っ張る行為が減ることで、自由はさらに加速する。

そのあとになるだろうが、

食事、性別、老化、寿命 が絶対的なものではなり、選択的な概念へとなる。

食事が選択的になると、食料問題からのプレッシャーが終わり、動物愛護的な感覚が上がり、肉食からはフェードアウトしていくだろう。

性別が選択的になってくると、お互いの感性と性欲等がよりダイレクトに自分のものとして理解できるので、これまでやや眉唾と思われがちだった内面の性別に関する心理学が一般的に理解されるようになり、男女の駆け引き的要素のうちグロテスクなものが自然に淘汰されてくるだろう。

老化が選択的になることで、人生で焦る必要がなくなり、自分のペースで納得のいくまで人生のフェーズを進めることになる。後から戻ることも可能だ

寿命は選択的になるだろうが、おそらく死なないことが結構簡単にできるようになると、逆に人はあっけらかんと死を選ぶようになるだろう。死は最後の一番おいしいデザートのようなものになる。

これがかなり進むと同時に、人の表情、動き、感覚、雰囲気などが劇的に変化する。

それが一定に達すると、人は一つのまとまりとしての自分の存在それのみによって、ただ存在してたたずむのみによって、他の存在に満足感を与えられる存在にまで昇華される。子供の頃や動物のそれとも似ているが、それに生きざまによる様々なもの加えたさらに素晴らしいものとして表現される。

このときに、なぜ人類に調和とか美醜の感覚が備わっていたのか、それらが生き方とどう関係していたのか、これまで人間がそれからを利用したり逃げ続けていた理由、足りなかったものをようやく確信することだろう。

最終的にはかなりの部分で重力とか質量(といわれているもの)さえ生身のままで踏み込めるようになるだろう予感がする。光合成の類似的機能もおそらく存在するはずで、それらの機能も解放されるだろう。

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