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お茶が教えてくれたこと

19歳の時、付き合っていた人のお母様がお茶の先生だったので、こっそりお茶を習い始めた。私が習ったのは、表千家で修行した川上不白(江戸千家の開祖)が、武士や商人だけではなく、大衆に広めた流派の江戸千家。さらに、男性の先生だったこともあってか、それまでイメージしていた堅苦しい(失礼)雰囲気は全く無く、ひとつひとつの所作の意味を教えてくださったが、すごく腑に落ちて面白く、お茶を習うキッカケとなった彼と別れた後も、15年以上お稽古を続けることになった。(先生が栃木に引越したことがキッカケで、中断中。)

若い頃は、お茶のお稽古を続けていても、仕事が、とか、旅行が、と、休みたくなる予定が入る。しかし、先生はある雑誌の編集長だったこともあり、忙しいは理由にならない。どうにかこうにか気持ちを向けてお稽古に行くと、新しいことを学べるし、お菓子もお茶も美味しいし、ああ行ってよかった、と思いながら帰ってくるんですけどね。長く続けていると、お茶会であったり、正月の最初のお稽古の初釜とか、お稽古とは違う経験も増えて、その時その時に知ることは、本当に楽しかったな。千利休の本やデザインについての本のたくさん読んだことは、仕事にも役立っていたと思う。

当時、新刊の『日々是好日』森下典子著(2002年)と出合う。私がお茶を学んだ時に感じたことや、先に書いたことのようなくだりもたくさん書いてあって、頷きながら読んだ大好きな本の一冊。この本は、2018年に樹木希林さんや黒木華さん出演の映画にもなり、遅ればせながら昨日、Netflixで観ることが出来た。比較的本に忠実な映画で、絵が入ることでよりリアルになった部分もあって、とてもよかった。

日本には、当然のように、四季があり、冬の後には、必ず春が来る。明けない夜はない、とよく聞くけれど、日本人の場合は、明けない冬はない、といった方がしっくり来るのかもしれない。お茶では、設え、お軸、お道具、お菓子などなど全てが、その時を感じられるものになっている。さらに、そこにいるすべての人の相手を想う気持ちが満ちている。お軸に書いてある言葉にズキンと来たり、お菓子の色にこれからの季節を感じたり、冬の訪れがきこえてきたり。映画でも、淡々とした中にある“変わらないもの”と“時の移ろい”みたいなものが表現されていて、堪らなくお茶のお稽古をしたい、と思ってしまった。

日常の中に、お茶を習うことがあることで、自分の中に軸ができるというか、人生に手すりができるというか、そんな感じ。お茶は続けるものではなく、出会ったら、生きていくそばにあるものだな、と思った。夏の暑さや冬の寒さの厳しさも、秋の紅葉の素晴らしさも、ワクワクする春の訪れも、全ての季節にその良さや意味があるように、毎日の暮らしのあれこれも、捉え方によって、全てを満喫できる(はず)。

数秘は、お茶のお稽古とは違うけれど、季節の移り変わりや自分を感じ、相手を想う気持ちみたいなものを大切にできるものだと思う。自分を知り、相手を理解し、自分のリズムに乗って、人との関係性を紡いでいくためのメソッド。一生、そばにあるもの。(笑) 

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