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楽観的に背水の陣を敷ける友人の話

2024年5月23日。

1年半ぶりくらいに、高校時代の友人に電話をかけました。

良く言えば平穏、悪く言えば刺激のない日々に、いくばくかの変化をもたらしたいという思いが芽生えまして。LINEの友だち一覧をスクロールした時に目が留まったのが彼女だったわけです。

彼女は普段ドイツに住んでいます。電話をかけた時刻が20:00くらいだったので、向こうは13:00くらいだったはず。時差が7時間あっても、距離が約9,000km離れていても、スマホ1台あれば同じ時間を共有できてしまいます。いやはや、改めて便利な世の中ですね。


「久しぶり、元気?」


当時から変わらない声が聞こえてきました。

一言で言えば、彼女は音楽家です。3、4年前に単身ドイツに渡り、大学院に通いながら専門の楽器について学び、プロのオーケストラで演奏することを目指しているという、自分の周りでは稀有なキャリアを辿っています。

中学生から本格的に始めた音楽。歴で言えば15年ほどだと思いますが、彼女に「なぜ音楽を続けられているのか?」と訊いてみました。


「私にはこれしかないから」


毎日オフィスに通い、MacBookのキーボードを叩いたり、書類を整理したりする、いわゆる会社員のような働き方ができないという彼女。周りと同じように動くことが性に合っておらず、大学卒業後に就職して働いているイメージが湧かなかったのだそう。

それでも社会に出たら、自分自身で食っていく道を模索して、その道を進んでいかなくてはなりません。その道が正しいか、稼げるか、自分に合っているのかは分からない中で、彼女は3、4年もの期間を異国の地で挑戦を続けていたのでした。

もし似た境遇に自分もいたら、彼女と同じように挑戦できるだろうか。彼女に「怖くないのか?」と訊いてみると、意外な言葉が返ってきたのです。


「何とかなるでしょ」


驚くほどあっさりとした楽観的な言葉。思うに『プロ』と呼ばれる人たちは、自分自身を簡単に背水の陣へと追い込むことができ、必要以上に失敗した時の自分をイメージしていないのではないでしょうか。

当時からさっぱりとした印象を彼女に持っていましたが、彼女の「何とかなるでしょ」という言葉に、挑戦する上で立ちはだかる障害を、軽々と乗り越えていくためのバネのような力を感じたのです。


私が感じていた、良く言えば平穏、悪く言えば刺激のない日々は、これも良くも悪くも『安定思考』が生み出していた意思決定の先の現実であると、彼女との電話を終えた後に気付くのでした。


「その道が正しいか、稼げるか、自分に合っているのかは分からない」


結局のところ色々と理由を付け、選択してきた結果が今の生活であるとすると、明日も明後日も数年後も同じような日々の繰り返しでしょう。

分かっている。

分かっているけど、今の生活も悪くはない。悪くはないけど、刺激もない。先も見えていて、ただ歳を重ねるだけのような気がしなくもありません。

そんな日常から抜け出したいのならば、自分を追い込める環境を作るしかないのですね。怖いけど、死ぬかもしれないけど、コンフォトゾーンから抜け出さなければ、刺激も得られるものも少ないのだと、彼女から教えてもらった気がします。


富や名声を手に入れた人の多くの成功者は、行く先々で当たり前のように、かつ楽観的に背水の陣を敷くことができる人だと思います。

しかし、どれだけこの世界に楽観的に背水の陣を敷くことができる人がいるのでしょうか。いないからこそ少数派に入ることができ、常人では得られない経験や知見、人脈を得ることができるのではないのでしょうか。

彼女は今、音楽一本で何とか食っていけるくらいの収入を得ることができているのだそう。声は変わっていなかったけれど、私よりも遥かに勇敢で、格好良い人生を歩んでいて、そんな彼女に刺激を受けたことは確かです。


平穏で刺激のない日々の中にできた心境の変化。

「負けてたまるか」

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