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新潟県で大注目!!縄文人の骨

新潟県下越地域の6施設で共催している「地味にすごい!下越の縄文時代」の中で、阿賀野市歴史民俗資料館の展示をワンポイント解説という形で紹介します。

阿賀野市では、2021年の土橋どばし遺跡発掘において、縄文人のお墓と考えられる遺構いこう検出けんしゅつされました。
この遺構は、縄文人を火葬かそうして、骨を四角に並べて埋葬まいそうしてありました。

土橋遺跡の焼人骨しょうじんこつ出土の遺構は、現在、鋭意えいい、調査中で写真パネルでの紹介になっています。
調査内容を詳しく解説してくれてあります。

ほうほう。
パネルの解説によると、かなり計画的に骨を配置しているようです。
30㎝×30㎝ほどにまとまるようにしています。
コンパクト縄文人になります。

足の骨を上下に、そして、頭の骨、左右に腕の骨、最後にかぶせるように肋骨ろっこつ背骨せぼねを置くという手順で埋葬されています。

土橋遺跡の縄文人の骨は、筋肉などの軟部なんぶ組織そしきがついてない状態、つまり、骨になった後に、その骨を焼いて、四角くして、埋葬し直しているようです。
肉体が分解される前に焼かれると、骨に横方向の亀裂が入ったりするそうです。土橋遺跡の縄文人の骨にはその痕跡こんせきがないことから、骨になってから焼かれたことが分かります。

近くで、近い時期の遺跡であるツベタ遺跡からも焼いた人骨が出土しています。

ツベタ遺跡出土の人骨

阿賀野市ツベタ遺跡出土の焼かれた骨は、大きな穴から見つかりました。少なくとも3人分の骨が同じ穴から見つかりました。

ツベタ遺跡の焼人骨しょうじんこつの特徴を見ると、

骨が白くなっている点から、800℃の火力でじっくりと焼いたことが分かります。

骨に横方向の筋状すじじょう亀裂きれつがあるのは、軟部組織(筋肉やけんなど)がついた状態で焼いた時におこる特徴です。

つまり、ツベタ遺跡の縄文人は、亡くなってすぐに800℃の火でじっくり骨が白くなるまで焼かれ、その後、決まった墓穴に埋葬される。しかも、複数の人が同じようにして、同じ墓穴におさめられているのです。

このような焼人骨しょうじんこつ埋葬例まいそうれいは、下越の奥三面おくみおもて遺跡群元屋敷もとやしき遺跡、上越地域の寺地てらじ遺跡、長野県内で確認されていています。

縄文時代後期になると、東北のライフスタイルの影響が強い下越地域に、長野や上越地域のライフスタイルとの共通性が認められるのです。

また、2021年には、下越地域の村上市上野かみの遺跡でも、焼人骨しょうじんこつでの埋納遺構まいのういこうが検出されていて、ツベタ遺跡、元屋敷遺跡と同様に、白化はくかした骨に、横方向の亀裂、複数人が埋葬されている状況が確認されました。
約4000年前の新潟では、亡くなったら、火葬して、同じ墓穴に埋めるという葬送儀礼そうそうぎれいが行われていたようです。

だが、しかし、土橋遺跡の縄文人の骨は、ツベタ遺跡などでの埋葬方法とは、また違った方法が用いられています。
人骨を四角くする埋葬方法は、縄文時代晩期(約3000年前)に愛知県三河みかわ地方で行われていたのですが、土橋遺跡では、それよりも1000年もさかのぼり、しかも、骨を焼くといった行為が行われていることで、今までになかった埋葬方法がとられていると注目されているのです。

付近で行われていた火葬、複数人埋葬の葬送儀礼とは一線を画す、白骨化はっこつか後に火葬、四角に組んでの焼人骨の埋葬というとむらい方は、土橋遺跡のみで行われたことなのか、それとも、どこか他地域とのつながりを示す行いだったのか。。。
今後の調査・研究がたれるところです。

阿賀野市歴史民俗資料館では、ツベタ遺跡の焼人骨が展示されています。この機会にぜひご覧いただきたい。

え?こわい?
大丈夫。縄文人がその生きざまを見せてくれるのです。
ほかにも土偶もあるから見に来てね。

阿賀野市歴史民俗資料館の常設展示の土偶たち

ここまでお読みいただきありがとうございました。
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