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水玉のルーツは天然パーマ。

神奈川県川崎市へ引っ越しました。
めっきり秋らしい気候。この時期は友人の誕生日が多い時期であり、引っ越しもしたこともあり、色々と思い出すことが多い日々。

そうやって「ふと」思い出してもらえる人に自分もなりたいな、と。
服屋さんや雑貨屋さんで水玉のアイテムを見たのなら、僕が脳裏にいるんじゃないかな、と思うわけですよ。


天パで、メガネで、水玉が好きな人。
それが僕の自己紹介です。

今回は水玉じゃなくて、天パのお話。


天パとの出会い

「天パ」:てんぱ。天然パーマの略語。
いわゆる「強いくせ毛」。パーマをあてていないのに、パーマを当てたようなくせ毛であること。その自由奔放な髪質から、梅雨の時期や寝癖は髪型がうねりを上げ、コントロール不能状態に。縮毛矯正やストレートパーマなどで対処する方法もある。しかし、くせ毛としての生命力が非常に強いため、焼け石に水なときもある。
(ぼく個人の解釈です)


僕はかつてボウズでした。

小5〜中3の5年間、野球少年の僕はボウズ一筋。
割とコレを話すだけで結構驚かれるし、今やボウズの面影も残っていないほどに、天パを伸ばした「うねふわ」な髪型は僕のトレードマークのひとつ。
※うねふわ…うねうねふわふわ、な髪型。


※うねふわが言うことを聞いてない図

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中3の夏。
野球部最後の大会も終わり、引退の時を迎える。
野球部にとって部活の引退は、ボウズの引退でもある。


当時はアメカジが主流で、髪型をツンツンに立たせるスパイキーショートが流行っていた。みんな赤いチェックのシャツを、白いVネックのシャツに合わせ、髪をツンツンさせていた。
野球部を引退したボウズたちは、寒くなると毛が伸びる動物のように髪を伸ばし、髪型もツンツンにし、ゆめタウンのライトオンでオシャレを覚えた。

中学生は流行に乗り遅れないことがステータス。
僕も流行りに乗ろうとした。



できなかった。



I can not do Tsun-Tsun .
私はツンツンができません。


受け入れられない現実に、色々な策を試した。

【ハード系ワックス作戦】
極度の柔毛であるマイヘアーは、
ギャッツビーの一番強いピンク色のワックスでも、
強そうなドンキのヘアスプレーをしても効果なし。
ヘアワックスでは太刀打ち出来ない、柔毛クセ毛である。


【小栗旬現象作戦】
受験勉強から帰った日。
テレビ越しに小栗旬から「ボウズにしたら髪質が変わって直毛がクセ毛に…」という話を聞いた。


小栗旬の逆パターンもあり得る話だ


という謎の望みにかけてもう一度ボウズにした。何故か成功すると思っていた。この少年、偏差値に不安がある。
(この謎の自信はどこから湧き出るんだろう??)

気合を表す真冬の3mm。受験シーズンのボウズは寒かった。
いつか立たせることを見越して、いい具合に床屋さんに切ってもらった髪型も、母のバリカンでリセット。
ボウズの手触りもなんだか懐かしかった。
そして無事に第一志望に合格した。


だけど僕に小栗旬現象は起きなかった。
(当然だ)


ハード系ワックス作戦も、小栗旬現象作戦も、効果がなかった。



天パを受け入れる


高校生になっても天パと戦い続けた。
性懲りもなく、伸びかけのクセっ毛を頑張って立たせて高校に向かうも、片道13kmの自転車通学は、無情にも僕の努力を吹き飛ばす。


毎朝髪を立たせてもヘタることに、心が折れたのか。
はたまた心が成長したのか。何かを悟ったのか。


「天パを受け入れよう」
と考えた。


「この天パがオレやで」と言わんばかりに髪を伸ばし始めた。はじめて眉に前髪がかかっていると生活指導の先生に注意された。
しっかり伸ばしてみると、別に変ではない。
むしろ、髪が伸びて少し柔らかい印象になった自分を見て、「自分らしい」と思えるようになった。そして不思議とこれを決意した時期に身長が伸び始めた。遅れてきた成長期。心も身体も大きくなる。


気がついたら、天パであることを前面に出していた。


mixiのコミュニティ「天パ同好会」に入会。
「天パのあるある」の掲示板に
「夏場は扇風機に頭を当てると、こもった空気が放出されて気持ち良い」という、渾身の自虐ネタを投稿すると、多くの同士から共感を得られた。
今風に言うと、バズった感じであった。


イケてる男子がバイトのお金を使って、夏休み中にパーマを当てていた。
それっぽい髪型に無料で出来る自分が、なんだか誇らしかった。


もっと天パを生かせられる髪型はなんだろう、と考え、髪型の制限が無くなった大学生時代には、天パでアフロを本気で目指していた。ほぼ鳥の巣だった。バイト先から即NGを喰らい、マッシュで落ち着いた。コレはコレで良い方向転換。



天パであることを前向きに捉えていた。



「コンプレックス」→「個性」……か?


「人と同じになれない自分」には、恥ずかしさ、劣等感、虚しさを感じる。
中学生という思春期に経験し、考え方を改めたからか「人と違う楽しさ」を実感できる自分が形成された。

自らのコンプレックスや立場を受け入れることは、自分を肯定してあげることの第一歩。
と、言うと少し乱暴か。僕のコンプレックスは生活に絶望的な支障があることではないし、仮にそのような重いコンプレックスを抱えている方に対して「それも個性だ!」とサラッと言ってしまうことは、配慮がない。

では、心身の成長と共に自らのコンプレックスを受け入れることが出来た感情を、正しく伝えるためにはどのような表現が良いのか。


僕なりの答えは「他人との違いを受け入れた瞬間」だ。
流行に乗ることが正解だと思っていた中学生時代。
自分の個性を受け入れ、自分の正解を求め始めた高校生時代。

その結果。27歳にもなって水玉を出し続けるほどに個性派な人間となってしまった。(もちろん上には上がいるが)
それを続けていくのは、かつて天パを受け入れた自分がいたから。開き直りとも呼べる個性の受け入れが、自分のコミュニケーションの武器となり、自己肯定できるきっかけである。


天パで、メガネで、水玉が好きな人。
それだけで僕を思い浮かべてくれる人がたくさんいる。


27歳。転勤。もっと自分をブレないように。

心機一転しまして
天パに人パを当てました。
(人パ:人工パーマ。いわゆる美容室で受けるパーマ。)

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地方を飛び出し、東京で戦っていくためのひとつの決意表明の意味も込めまして。
個性出していく覚悟を胸に(頭に?)抱えていくために、僕をおしゃれな髪型へ導いてくれた、お世話になっている美容師さんのもと、人工パーマを。

さて、このふわふわヘアーに守られた脳ミソをフル回転させて
10月からの新天地での勤務もバリバリ頑張ります!

【補足】自分らしくある大切さを気が付かされた話

ライブ写真家の橋本塁さんが

「もし僕が北川景子さんだったら邪魔どころかむしろ見ることができて嬉しいんじゃないか」って。そうなれるとは思いませんけど、写真展とか水玉のアパレルブランドとか、DJをやったり、目立つ活動をすることでライブ中「あの水玉は橋本塁だ」と認知してもらえれば、観客の許容範囲が広がるんじゃないかな、と。

という、ライブカメラマンの新しい立ち位置の考え方に激しく同感し、それをリスペクトするひとつとして水玉を着るようになってます。
(シンプルに柄として好きだったり、色々な意味もあるのですが)



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