間違った日本語であることは分かっているんだけど、、な話
ある日のこと。
荷物を出荷するためにコンビニの列に並んだ。
順番が来たので手書きの伝票とダンボールをレジに置きお願いする。
すると、
「指定到着時間はございますか?」
とレジの店員さん(ご年配の女性の方)に聞かれたので、
「大丈夫です」
と答えた。
そういえば時間指定の「指定なし」のところに○をするのを忘れていたなと思い出したので、一応聞いてくれたんだなと思ったのだが、、、
「大丈夫、というのは無しでいいということですか?」
とレジの店員さんに聞き返された。
「あ、はい。無しで大丈夫です」
と答えた私。
出荷を終えコンビニを後にしたが、さっきのやりとり、
何だかモヤモヤする。。
「大丈夫です」という日本語の使い方は、本来あの場面では間違っていることは分かっている。
正しくはおそらく、「ありません」が丁寧な返しだろう。
「大丈夫」というのは「あぶなげがなく、安心できるさま」「間違いがなく、確かなさま」という意味。
レジの店員さんも「正しい返しの日本語ではない」ことで一応の確認のつもりだったのかもしれない。
しかし、こう言った場合の「大丈夫です」の意味はもう世の中に浸透しているのではないかと私は認識している。(認識違いだったら申し訳ないが)
他人の会話の流れを見ていればよくある、意味は通じることに関しては、臨機応変に対応してくれてもいいのではないか?と感じた。
店員さんも間違いがあったら困るから確認したのかもしれない。
しかし「大丈夫です」という返しのどこに「時間指定あります」に繋がる要素があったのか。
これはあれに似ている。
エスカレーターは左に止まる人が並び、右は歩く人に空けるという浸透した流れ。(関西では逆)
たまに激混みの中でも右に立ち止まる人がいて、急ごうとする人の道を塞いでしまうあれを見た時の感じだ。
もしくはその右なのに止まってしまった人の後ろに立ってしまった時のやつ。
そんなことをモヤモヤと考え帰路についた・・・・。
しかし、
時間が経って考えてみた。
そういえば前に居酒屋で、
店員さん「(生ビール持ってきて)生ビールになります」
おじさん「え?なります?いつなるの?」
店員さん「え・・・?」
おじさん「生ビールになるんでしょ?いつなるの?」
店員「いや、えーと・・・生ビールです」
おじさん「そう!そうでしょ?」
という会話を見たことがある。
おじさんの店員さんイジリが酷いなとは思ったがそこは置いといて。
この場合の「なります」も日本語としては間違っていて、
おそらく丁寧に言おうと思った結果がこれになり、それが浸透したんじゃないだろうか。
「〜になります」は今ではあまり指摘もされず、当たり前のように使われるようになっている。
当たり前だと思って使っていても実は間違っている日本語。
時と場合によっては恥をかくこともある。
「雰囲気で察してよ!」
と思った今回の出来事だが、間違った日本語に不快な思いをする人だっているのだ。
ちなみにエスカレーターも、メーカー側はどちらか片方に偏ることはやめて欲しいと提言していて、むしろ劣化の原因になると警告しており、
歩いて登るのも危険なのでやめた方がいいと推奨している。
これも実際、左右どちら側がどうというのは何となくの流れでできた非公認の決まりのようなもので、
右に立ち止まる人のことを後ろの人が文句を言わないのは、それをどこかで分かっているからではないだろうか。
モヤモヤしてしまったが、間違っていると本当は分かっていながら「察してくれよ」というのも、ちょっと横暴な考えであったと少し反省したのだった。
そういえば今回のこととは全く関係無いし日本語の違いともまた違うのだが、
子供の頃、友達に「もしもらえるとしたらお金いくら欲しい?」という小学生っぽいどうでもいい質問をされると、
「100億万円!!!!!」
と自分なりの想像の大金として答えていたのを思い出したのだが、
そんな単位はもちろん無い。
しかし、我ながらどんな実際の単位の大金よりも大金らしい良い響きだなと、今でも感心する。
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