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全く興味が無いのに少年野球チームに入れられた話⚾️

興味が無いどころか、むしろ野球は敵だった。

プロ野球中継がゴールデンでバリバリ放送され高視聴率を取っていた時は、巨人戦のたびに大好きなアニメが中止になり、
テレビ前で待機していた少年時代の私をいつもガッカリさせた。

当時父親は野球中継やゴルフ中継を観たがり、楽しいはずのテレビが一気につまらなくなり、
「親が好きなもの=子供が嫌いなもの」のように思い込み、
野球への恨みを募らせていた。



小学5年生のある日、同じクラスの親友Kから1本の電話が入る。

「フェニックス入ろうぜっ!!」

フェニックスとは、通っていた小学校の少年野球チーム。

卒業まであと1年半のこの時期になぜ入ろうと思ったのかは謎だが、1人だと心細いのか誘われたのだ。

当然のごとくかなり嫌がり、1度は断ったはずだ。

しかし小さい頃、母がピアノの教師だったこともあり流れでピアノを習っていたのだが才能とやる気が無さ過ぎてとうの昔に辞めていた私。
学校が終わるとプラプラと少年ニートのような生活をしていたので親も心配して何かやらせようと考え始めていたタイミングもあり、
野球に誘われたのを大賛成されてしまい仕方なく入団することになってしまったのだった。


当時、運動神経の良い子供は必ずと言っていいほど野球を通る時代。

活発な生徒たちの後ろでガリガリ色白の日影者だった私はヒョコヒョコと球を追う。
興味もやる気も無い私は一向に上手くならず、レギュラーには程遠い存在だった。(結局何だったらやる気が出たのか少年ニート)

だってさ、
人間が投げる球がこっちに飛んで来るんだよ?

怖いだろ!!!!??

金属バットで打った球がこっちに飛んで来るんだよ?

超怖いだろ!!!!!???

ボールへの恐怖心も拭えずただただ週末の練習に参加する日々。
サボる生徒も大勢いたが、変に真面目なところがある私は体調が悪く無い限りはちゃんと参加していた。


今思うとポジションも役割もよく分かっていなかった。
ファースト、セカンド、サードなどという数え方も知らず、
「セカンド」と「センター」が同じ「セ」なだけでだいたい同じようなものだと思っており、
守るポジションといえばだいたいライトだったので、ライトの場所と対角のレフトの場所だけ覚えなんとなく練習に参加していた。

真ん中はもちろん「センター」



しかし、私の小学校高学年の時代はスポーツ大革命の時期でもあった。

Jリーグが開幕し、一気にサッカー人気が加熱!
バスケ漫画の金字塔「スラムダンク」がアニメ化し、当時はちょっとマイナーだったバスケットにも子供達は興味津々だった。

運動神経の良い子達はそれぞれに惹かれ、
フェニックスのレギュラーだった3、4人が一気に他のスポーツに散って行ったのだ。


一気に戦力ダウンしたフェニックス。

必然的に繰り上げられるベンチ要員。


そして私にさえ、その出番が回ってきてしまう可能性が浮上した・・・・!!!






とはいえ、その状態でも先発メンバーかベンチか当落選上だった私。

ある日の大会前の練習中、
いつものように謎の真面目さで練習に参加していた時。

あるチームメートが監督に、

「監督!じょうじを試合に出してあげてよ。ちゃんといつも練習に来てるんだからさ」


そのチームメートはまぁまぁサボる奴。
しかしたまに来ると必ず練習に参加している私を気にしていてくれたのだろうか。

「そのつもりだよ」

監督がまさかの一言。

今まで嫌々練習に参加し、一向に上達しない私だったが、
監督やチームメートはちゃんと見ていてくれたのだ。


そのやり取りを傍に気恥ずかしくも、
なんだか嬉しくなり泣きそうになったのを覚えている。

レギュラーになれなかったらなれなかったで、
悔しい気持ちはちゃんと持ち合わせていたのだ。


その後小学校卒業まで、
2回に1回は試合に出る(もちろん定位置ライト)くらいのペースで、
目立った活躍も無いが、最後まで参加し退団を迎えた。



最後の大会が終わり、6年生の最後の練習日。

苦手だった守備のノックを受けた私に不思議なことが起こる。

「あれ・・・?なんか、ちゃんとボール獲れるぞ??」


「獲れなくてもいいからゴロは体で止めろ」

そう言われながらも体にボールが当たるのを嫌がりいつもトンネルしていた私が、
言われた通りに基本に忠実に守備をしている。


「なんだ、こうすればよかったんじゃん」

最後の練習ということで気持ちが軽くなったのか、
急に上達し始めたのだった。


今思うと、「こうなってしまうならこうしよう」という自分なりの修正能力のようなものをあの瞬間身に付けたような気がする。
いや、間違いなくそうだった。


嫌々ながら黙々と続けた野球の練習。

それだけでもやった甲斐があったのではないだろうか。

あの意識でもう少し続けていたら、
少しはマシな戦力になったのかなぁ・・・・?




その後、中1になった私。
当時人気だったスーファミの「実況パワフルプロ野球」を購入。

「メイクドラマ」という流行語にもなる長嶋監督の名言が飛び出したシーズンだった。



謎だったポジションや、当時知りもしなかった細かいルール、
さらには実名の選手を操作することでチームや選手名を覚えて、一気に野球が好きになった。

あれだけ実際野球をやって一切好きにならなかったのに、
ゲームで簡単に興味を持った当時の私。

やっぱり当時からインドアだったんだなぁ。。

打席に入る小6?の私
打てる気配が感じられない

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