変化した26歳と、次の階段
「26歳から挑戦してる人が多いよ」
尊敬している人にそう言われてから、"一歩踏み出すこと"を意識してきた1年間も終わろうとしている。とんでもなく長くて濃密すぎる26歳だった。
クリエイティブ面でチャレンジしたいことが幾つかある中で、何を軸に仕事をしていくか迷っていたとき、人の深い想いを言葉にして届けられる”ライター”という仕事に憧れて、どうしたらライターの仕事でやっていけるか相談した。
その時から「26」と言う年齢がずっと胸の内にあったから、「今年は大きな転換点にするぞ」と、多少の無理を厭わない1年間を過ごした。
その結果、正直言って昔では考えられないくらい環境が変化した。
先のことが決まってもないのに会社の退職を決めてフリーランスになった。写真や動画や文章の仕事をもらえるようになった。県外への旅やイベントや仕事は調整すれば行ける。1年前、未来をどうしていくか定まらない中で「場所も時間も職種も囚われない生き方をしたい」と想いを伝えた結果、今まさにその状態がある。
ただ、今の状況は、手放しに喜べる事ばかりじゃない。
この環境は、僕の望んでいることを周りの人が期待してくれたり、賛同してくれることで成り立ってる。自分だけで出来たことなんてほとんどない。
そうやってサポートをもらえることは本当に感謝ばかりだけれど、もうすぐフリーランス2年目となる今、それに頼ってばっかりじゃいけない。ずっとその関係がいつまでも続くわけではない。
間違いなく力が足りないし、考えが浅い。たとえ相手が「それでいいよ」って言ってくれたとしても、自分のポリシーがそんなこと許せない。今年は、誰かのサポートに甘えてばかりいた。
確かに26歳、自分なりには色々挑戦はしてきた。出来なかったことをたくさん出来るようになった。だからよく頑張ったと思うし、後悔はしていない。ただ27歳は、しっかりアウトプットと向き合って、着実に力をつけていく必要があると思う。
とは言っても、何からはじめようか
進んできた道は間違ってなかっただろうけど、今の状況には全然満足してない。自分だからこそ作り出せる価値って何?
自分の中ですら答えが出てないのに、誰かに伝わるわけもない。
ここ数ヶ月、その気持ちと向き合って、自分をどう変革するか考えてきた。
でも、結局どうなりたいかは定まらない。
自分の在りたい姿はかなり自覚できるようになったし、なかなか自然に振る舞えるようになってきた。やりたいことやスキルアップしたいことだって短期で考えると思いつくのに、どこかしっくり感がわかない。モチベーションが上がりきらない。たぶん、その道に進むことが、自分の未来にとってどれだけピンポイントなのか分からず不安ばかり先行してるんだ。
26歳の時にあった「まだ後戻り出来る感」を、今年はあまり感じない。
これまでなら「今はそういうタイミングなんだね」と思って終わっていたけれど、今年はちゃんと行動や結果に責任を持って、しんどくてもちゃんと考え尽くして着実に進む年にしたいから。
ウンウン唸った結果、その状態をブレイクスルーしてくれたのは、
「誰みたいになれたらワクワクする?」
というとてもシンプルな問いだった。
過激なオタクに戻ること
最近、次のステップを考えるにあたって、ロールモデルを探してた。いろんな人の情報を見て回り、自分がどれに近いか状況を当てはめて、誰が一番フィットするかを考える。
でも今日ようやく気付いたのは、現実的になれるかどうかばかり気にしていたけれど、大事なのはその人を目指すことに心がときめくかだ。
最近、モチベーションが湧かないと感じていた理由は、憧れの気持ちを棚に置いて、石橋を叩く確認作業に徹してたからかもしれない。
その視点でまたTwitterを徘徊してみると、すごく楽しくなった。
ジャンルが近い人ばかりを探すんじゃなくて、全然違ってもいいから「この人になれたら楽しそう」という視点で探してみる。そうすると何人か候補がすぐに見つかって、さらにその人たちの共通点も見えてきた。
その共通点は「マニアックである」ということ。
世の中には、何かの代表だったり、得意ジャンルのノウハウを提供する人だったり、クリエイター一辺倒で突き進んでる人だったりいっぱいいる。そんな中しっくりきたのが、超マニアックに物事を考えて、自分の理念を体現してる人たちだった。働き方のスタイルとか所属とか関係なく、その人の好きな道を探求し、人と接し、仕事もそこから発生している。
そういう人にとても憧れた。ワクワクした。
僕は水瓶座なんだけど、しいたけ占いに「2020年は過激なオタクに戻る」って書いてあって、まさかその言葉がこんな風に帰ってくるとは思ってなかったから、びっくりした。
誰みたいになれたらワクワクする?
これは本当にキラーワード。
細かい過程が重なるかどうかは全く関係ないんだな。
忘れずポケットに直しておこう。
27歳の宣言的なこと
2020年は、行動に責任を持つ1年にしたいと言い続けていて、そのために、内なる言葉を洗練させていく必要がある。そこにさっき書いた「マニアックさ」とか「ワクワク」を重ねていきたい。
ちゃんと自分が誠実に一つ一つのヒトやモノに向き合って、言葉を発せるようになること。それが出来ないキャパオーバーなものはちゃんと誠意を持って断る。
そういうストイックさがないと、今仕事をくれている人も、自分のために時間を作ってくれている人も、自分に期待してくれているのに、それを裏切ることになる。
あらゆること引き受けたくなってしまうのは仕方がないけれど、それで動けなくなって本末転倒になるのは誰よりも自分も本位ではないから。
目の前のことにちゃんと向き合いながら、「それが人生にあったらめっちゃ嬉しいよね、頑張れるよね」ってことをたくさん想起して、頭に置いておく27歳にしよう。
最後に
26歳、よく頑張った。
ちゃんと変化した。お疲れ様。
環境を変えること、慣れることは本当に大変だったと思う。
そんな折に寄り添ってくれたたくさんの人たち本当にありがとう。
でも、いまの自分は納得できない。
結果と行動が結びついてないもの。
あんまり強く宣言するのは怖いけれど、でもきっとそれを達成していないと、28歳になった時の自分は悲しむと思うから。
27歳はそういうところも含めて、やりきる人間になろうと思う。
そのために、改めて何かを一緒にはじめる人もいれば、今のタイミングでは一緒にしない人もいるかもしれないけど、これからもよろしくお願いします。
今年はなかなか折り合いがつかなかった「発信」について考える年になると思うので、noteの記事も含めて、たくさん実験しながら進んでいこう。
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