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noteを書かなかった理由

文章を書くのが好き。
日々の感覚を言葉にしたい。

そう思ってるにも関わらず、今までnoteがどうしても始められなかった。

見出しはどうしよう。
サブタイトルも考えなきゃ。
どの写真を使うか迷うな。
投稿するテーマ統一感持たせなきゃ
最初の記事は自己紹介的なのだから力入れなきゃ。

色々細かいことを気にしてた。
どうせ書くのなら、細かいところまで気を配って、自分の世界観を表現していきたい。だから、中途半端な気持ちで書きたくないなと。

その分Twitterは140字という制限があるから、気にすることが限られていたし、詰め込みたいことを最大限詰め込めた。
それに時間とともに流れていってしまうから、少し妥協したって、今その時に表現する方が大事だと思えた。

でも、本当はもっと書きたい。
Twitterの140字ではおさまらない、もっと届けたい言葉や気持ちがある。

状況は変わることなく、ただ書きたいことは募る一方なのに、今書いてないという状態に違和感が積り積もっていた。


書くことができなかった本当の理由は、自分に自信が持てなかったから

色々細々と理由を並べてたけれど、理由はものすごく単純明快だった。

文章を書くことは、自分の魂を言葉に宿すような感覚だから、
その文章を読んでもらって「なんだこの程度か」って思われたらどうしようって。自分の文章どうこうではなく、自分の存在まで大したことがない認定されてしまうんじゃないかって。

きっと、自信が持てなかったんだ。
今の自分に。

うまく表現し続けなければ、飽きられてしまう。大したことない存在だと思われてしまう。

そんな不安が、noteを書く気持ちを妨げていた。知らぬ間に、自分は背伸びしなきゃって思ってたんだろう。

でも、このまま書きたい気持ちを燻らせるくらいなら、もうかっこいいと思われなくていいや。すごいと思われなくていい。

そもそも最初から、すごいと思われたくてnoteを書きたかった訳ではない。自分の気付きや発見、感じた幸せや悲しみ、苦悩。
それを読んでくれた人が、少しでも背中を支えられた感覚になったり、前を向けるようになったらいい。

それ以上でも以下でもないから、別に、僕自身がすごいと思われる必要はない。

そりゃ褒めてもらえるともちろん嬉しいけど、背伸びしてまでかっこいいと思われたって、仕方ない。
そんなことよりも、今この時伝えたいことが、つまらない理由で流れていってしまう方がもどかしい。

仮に毎日納得いくまでnoteを作り込んで、それがすごく評判が良くたって、
自分が疲弊しきっていて、届けたい気持ちがすり減ってしまうようでは、
それは本末転倒でしかない。

・ストレスフリーな文章のリズムで書く
・上手な段落、改行
・分かりやすいフォント、サイズの選択
・キャッチーな言い回し

残念ながら、これらを満たすようなnoteを書き続けることはできない。
だから、すごい文章を書き続けるなんて考えは捨てよう。
今この文章が0としてスタートしよう。

細かい部分気を遣えるようになれば、
もちろん表現の幅は広がるだろうけど、
それは記事を書くごとに発見して、改善していこう。
それは今すぐじゃなくていいや。

ただ今は、言葉にしたい。
届けたい気持ちを言葉として残していくことから始めよう。

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