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平家の落人がやってきた 〈後篇〉

8/24

この日はパラリンピックの開会式。

テレビに映る聖火台をキャットタワーの上からひたすらじっと見つめる愛猫に呼応するかのように、ベランダでは、もう体調5cmぐらいになるだろうか、だいぶ成長された大きなお方がレモンの葉の陰でじっとしておられる。
私が見に行く時たまたまなのだろうか?
前日まで旺盛な食欲を見せていたものが、まるで座禅を組む修行僧のように、いつでも静かに佇んでいる。

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この頃になると部屋の中の愛猫だけでなく、ベランダにも明らかに生命が息づいているという感覚が芽生えてくるようになった。
見なくてもそこに「いる」という感覚。それは「一緒に生きている」という共感に他ならなかった。我が家で共に生きている仲間が増えたのだ。

一体どちらの落人ぞ、と外観を調べてみたところ、どうやら「ナミアゲハ」という種類らしい。

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つまり、いわゆる「揚羽蝶」と言って万人が思い浮かべるであろう極めてスタンダードな揚羽蝶である。これが「ナミアゲハ」という種類であることも恥ずかしながらこの時ようやく知った。
本当にこのような見るからに揚羽蝶然としたお姿にお成りあそばしたら、えもいわれぬことである。

小さいお方はまだ我が道を行く衣替え前のお姿である。
その旺盛な食欲を見ながら、落人を助ける里人としては「“はらぺこあおむし”って比喩でもキャラクター化でもなく、本当だったんだ…」と呟きながら、桟敷席たるレモンにたっぷりとお水をあげることしかできない。


8/25  朝

目覚めるなりベランダへ。
大きいお方はやはり今朝も葉の陰がちな幹の上でじっとしており、目の前で葉を食べる姿は見られない。
急に元気がなくなったように感じて不安を覚える。もしかして若葉を全部食べ尽くしてしまったから、食べるものがなくなったのだろうか?古い葉は食べないのだろうか?

SNSで問うてみるも、特に若葉でないといけないという訳ではないようである。
ただ小さいお方の食欲も衰えないようであるし、今後のことも鑑みると兵糧を強化した方がよいのでは、という結論に達したため、Amazonでできる限り葉が多そうでなんとかベランダに置ける程度の大きさのレモンの株を大捜索し、発注にこぎつけた。
新しい食べ物と住処が届くまで数日、頑張るのだよ。

ベランダの人工芝の上にしゃがみ込んでじっと観察していると、背中に何やら上下に黒い線が通っているのが透けて見え、鼓動のように脈動、あるいは点滅して見える。これは何なんだろうか?


大きなお方はもはや泰然と構えておられるが、背中の脈動からは力強く滾る生命が感じられ、幼虫としての壮年期におられるのではという雰囲気である。人とは違う存在の不思議な生命の息吹を、いつまでも飽かず眺めるのであった。

あまり葉を食べずじっとしている時間が増えたというのは、サナギになる時が近づいているのだろうか?
しかし青虫になって僅か2日である、余りにも早い。もう少ししたらサナギへのご支度をなさるのだろう。サナギになる兆候だと言われている下痢の様子も見られないし。
丹念に丹念に周りの葉を観察し、そう結論づけた。

しかしそれは、突然であった。


夜。
帰宅するやいなや家人に挨拶をするように、iPhoneの懐中電灯アプリを点けてベランダに出る。暗がりの中レモンを照らし出す。

なんと!あの小さいお方が見事に青虫になられているではないか!
華奢で小柄なお姿はそのままに、しかし立派に青虫へと変身されているではないか!

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自ら柔らかい部分を食らい尽くした葉脈の先端で、揚々と登頂感すらある誇らしさである。
弟君は体は小さくとも、我が道をゆくのだ。
成長を喜ぶ嬉しさが込み上げる。

一方、大きいお方はまだ幹におはすのだろうか?
iPhoneで照らしても見当たらない。
どこにも見当たらない。
根本から全ての葉先まで、慎重にゆっくりと目視したが見当たらないのだ。

心臓がぎくりと音を立てて跳ね上がり、体が冷たくなった。

慌てて物置をかき回し、比叡山の千日回峰体験のために購入した強力な懐中電灯を掴み出して、震える手で周辺を探し回った。
それでも姿は見えない。

きっと、夜だから見つけられないだけだ。
朝になれば、なーんだそんなところにいたんだ、と、今日のことも笑い話になる。

なんとか気持ちを落ち着かせようと、いったん自分にそう言い聞かせた。
その言葉とは裏腹に、鳴り続ける頭の中の警鐘や、動悸や、うねるような不安は、まるで仕事や試験で自分の致命的ミスを発見してしまった時のような緊迫感を伴って体内を駆け巡り、私は泣き出しそうな衝動を必死で飲み下していた。
指先の体温が戻ることはなかった。


8/26

朝の光がようやく闇を隅々まで払拭する。
早朝から兄君大捜索を始めた。

必ずいる、どこかにいる。

元気そうな新生弟君をレモンの上に確認してから、ベランダのありとあらゆるものを大捜索することにした。
青虫はサナギになる際、実に50m以上も移動することが多いらしい。壁やガーデンテーブルの裏などにとどまっているかもしれない。彼が本当にサナギになるステージだったならば。

彼の居住区であったレモンの葉、その裏、茎、地面を入念に調べる。いない。あんなに大きく立派にお成りだったのだから、見落とすということはあり得ない。
続いて植木鉢を持ち上げて裏や底も確認する。レモン以外に育てている植物およそ8種類も同様にくまなくチェックする。それらの植物を移動させ、水受けトレイ、庭木ラックに至るまでひっくり返して探索する。
いない。

とうとうガーデンテーブル、デッキチェア、園芸用品入れ、側溝から全ての壁、天井、手すりもなめるように調べ回り、ついには不審者丸出しでベランダから恐ろしく身を乗り出し、隣家のベランダの壁や床、天井まで血眼で覗き込んだ。

いない…。

残暑の汗がじっとりと額や背中にまとわりつき、微かな風が後れ毛を舐めていく。
もはやなす術もなく荒れ野に立ち尽くす戦の残党の如く、ただ呆然と目の前の惨状を眺めていた。
「鳥」などという単語は脳裏から努めて排除しながら。現実を受け入れることをまだ保留しながら。

のろのろと現状復帰の手を動かす。
急にぽっかりと穴の空いた心が痛みを訴えているのをぼんやりと感じる。

青虫になったばかりの小さな弟君はそんなことはどこ吹く風、まだまだ成長せんと、かわいい口を動かしてさくさくと葉を啄んでいる。


「あのー、お食事中すみませんが、あの大きい子知りませんか?ご兄弟どこ行きましたか?」
そっと問うてみるも返答はなし。
これほどまで心の中に「共に生きている」という感情が芽生えていたことに初めて気づかされていた。


8/27

Amazonで注文していたレモンの木2号が玄関のチャイムを鳴らしてやってきた。梱包をほどいてベランダへと運び、微かな胸の痛みをやり過ごしながら小さいお方に報告献上する。
新しい兵糧が届きましたよ。若葉が多いのでこちらに移られてもよろしいかと存じますよ。

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弟君は成長が遅く、若葉より古い葉の方を多く食べて過ごしてきたからか、比較的落ち着いた緑色の体躯でいらっしゃる。一方お姿を隠された兄君は、若葉ばかり食べてこられたためか、鮮やかな淡い黄緑色をされていた。
やはり食べるものはそのまま体を作るのである。

成長中の幼き者が食べる姿を見ているのは心地いい。それは未来への希望である。


8/28


弟君はとても華奢で、4cm程度と小柄である。風に吹かれる葉の上では儚く、少し心許なく見受けられる。兄君がこちらを去られた今、小さきお方の成長が心の頼みとなっていた。

日に何度も謁見を求し入れてお姿を確認するのだが、ニューレモン2号にはお移りにならず、慣れ親しんだ母屋にて生息されている。もしかしたらレモンの種類によるお好みなどもあるのかもしれない。

この日、日が落ちる直前、いつも葉の上で盛んにお食事をされているか、ご就寝あそばしているかの弟君が、珍しく木の幹の部分で休まれているのを見つけ、はっとあることに思い至った。
注意深く背中を観察すると、果たして兄君にも見られた例の黒い脈打つ線が、非常にうっすらとではあるが透けて見えることに気づいたのだ。
これは兄君と同じ、元服への準備ではないか…?
小さき体格ではありながら、体内では準備を整えつつある段階なのだ。



夜、眠りにつきながら熟考した。
兄君が幹で動かなくなり、黒い線を発見してから2日のちにお姿が消えてしまった。それはサナギへの旅立ちだと、他の可能性を考えないようにして私は信じている。
いずれにしてもサナギになる際、なった際は外敵などの危険性も増すだろう。であるならば、この平家の忘れ形見を私は保護し、立派に元服されるまで面倒を見申し上げた方がよいのではないか。あらまほしき姿になられるのを見届けるべきではないのか。

友人の経験を参考にしたり、ネット上で実際に飼育をされた方たちの情報を調べると、サナギの期間は約2週間。虫かごや空気の通りをよくしたコーヒーの空き瓶などで保護しているようである。
うちには虫かごはないけれど、とんと使っていないGreen Farmの水耕栽培機がある。あれは必要とあらばLEDの照明を当てることもできるし、レモンの木を枝ごと切って挿しておくと、弟君はレモンの枝で安心してサナギになってくださるのではないか。

心は決まった。
少し早いが明日の朝、レモンの枝ごと弟君を捕獲して立派なサナギに生育してみせる!
明朝早々にプロジェクトサナギ、スタートだ!
今度は遅れないように先駆けて。

決断に満足し、安心して私は深い眠りに落ちた。




そして8月29日朝、小さいお方も忽然と姿を消していた。


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今、レモンの木は平家の落人兄弟が確かに生きていた証として綺麗に葉脈のみになった葉を残しながらも、他の箇所から次々と新芽を伸ばし、若葉を茂らせている。
生命は逞しい。
そしてとどまることがない。

落人兄弟のベランダから落ちたばかりのか弱き姿、元気に葉を咀嚼する音、突然の変身への驚き、脈動、ベランダで確かに生命が息づいている気配、今でもよく思い出す。
2人ともサナギになる直前に同じタイミングで鳥に襲われたとは考えにくいから、やはりサナギへの旅立ちだったのだと私は結論づけている。
落人らしく朝まだき、息を潜め、人には告げず姿を消し、困難な道を未来に向かって進んで行ったのだ。どこに向かわれたかは分からない。最後までやっぱり平家の落人らしい、立派な旅立ちだったと思っている。

だから揚羽蝶になったら遊びに来てね。
元気な姿を見せに来てね。


秋めいた透明な空気の中、ベランダから身を乗り出し、私は今日も時々彼らの晴れ姿を探している。
この夏、とても小さな命と共に生きた奇跡を私は忘れない。



終わり

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