フランスの雑誌に『称号を放棄して庶民と結婚した日本の反抗的な王女』と書かれている小室眞子さん

がどの位忖度しているかと思い、

を翻訳してみました。意地悪な気持ちからではなく、日本国民が異国に正しく理解されているかが気になったからですよ。

【和訳】

La princesse Mako quitte le palais après une rencontre avec l'empereur Akihito. (Tokyo, le 23 octobre 2011.) Abaca

今上天皇の姪である眞子内親王は、11月14日(日)にニューヨークへ飛び立った。夫である平民の小室圭と一緒だった。この結婚のために、彼女は皇族の称号を捨てなければならず、物議を醸した。『反抗的なhéritièreの肖像』だ。

→上で太字にした部分について、誤解があるなあと感じました。

→この結婚のために、彼女は皇族の称号を捨てなければならず、物議を醸した。

  ①平民と結婚したから物議を醸しているわけでも、
  ②平民と結婚するから称号を捨てないといけなくなったわけでも
  ないですよね。クズ一家のバカ息子を旦那にしたから
  国民が呆れ返っている
だけでwww。

→héritière

  代表的な訳語は
   ①遺産相続人
   ②後継者
   ③子孫
  であり、僕は③の訳が妥当と思いますが、この記事を書いた人は
   女性皇族が結婚した場合、相手が平民であろうとなかろうと
   ①、②という概念は無くなる
  
ことを理解していない気がします。

10月26日の小室圭との結婚で皇籍を離脱した眞子は、11月14日にお二人が移住を予定しているニューヨークへ旅立った。二人は、この日のために集まった多くの報道陣に一言も声をかけず、護衛付きで東京・羽田空港から民間航空機に乗り込んだ。

→忖度して太字部分は訳されていませんwww。

「圭はかけがえのない人」とテレビで演説した。眞子は、10月26日(火)、婚約者である一般人の小室圭と密かに結婚した。AFPが皇室関係者に確認したところ、「婚姻関係の書類が提出され、受理された。」とのことだった。若い女性の夫で米国の法律事務所に勤める弁護士は、「眞子を愛している」、「愛する人の側にいたい」と語った。しかし、このカップルの物語は、決しておとぎ話ではない。成仁天皇の姪でまだ30歳の若さで、この婚姻を強行するために長い間戦わなければならなかった。

あわせて読みたい >> 日本:眞子、長い論争の末にご結婚

「無力感」

眞子は、多くの犠牲を払って、同じく30歳の最愛の人と結婚した。日本の法律では、女性皇族は「平民と結婚したら」皇室を離れることになっている。このため、皇籍離脱し、通常は結婚によって身分を失った皇族の女性に与えられる130万ドル(110万ユーロ)の補償金も拒否している。

→記者はここも誤解していると思います。昔のフランス貴族の感覚で考えているんじゃないですかね?つまり、平民と結婚さえしなかったら、皇籍離脱も支度金拒否もしなくてよかったとね。勿論そうじゃないですよね?

結婚前、両親に頭を下げ、妹にキスをして一族に別れを告げる姿が、日本のテレビで放映された。小室夫妻は今、アメリカに渡っている。しかも、多くの苦難を乗り越えてのことだ。

<ビデオは婚姻に関係ないので省略しました。>

ハラスメント、借金、ヘアカット

2018年、二人は最初の挫折を味わうことになった。金銭的に後ろ暗い話で結婚の延期を余儀なくされたからだ。小室圭の母親が、元婚約者から多額の借金をし、それを返済していないとして、母親と元婚約者の対立が日本のマスコミに取り上げられたのは確かである。この論争は、皇族や皇族に好意を寄せる人々に非の打ちどころのない態度を求める文化を持つ日本人を憤慨させた。その他にも、小室圭の私生活は、高校時代に行なっていたいじめの告発、髪型が長すぎると新聞に書かれたりと、マスコミはこぞって小室圭の私生活を詮索した。

→日本語版では『金がらみの』と暈していますけど、”d'une sombre histoire d'argent”と書いていますから、直訳したら『金銭的な黒歴史』となりますよwww。フランス人は金絡みでだらしない人が大嫌いですから、日本よりきついことを言います。

小室圭は、このスキャンダルや圧力の結果、法律を学ぶために米国に留学し、9月に帰国したばかりだ。妻に「恐怖と悲しみと苦痛」を与えた話。眞子は記者会見で「圭との結婚についてはいろいろな意見があります」と説明した。「私を心配してくださった方々、根拠のない噂に耳を貸さず、いつも圭と私を応援してくださった方々に感謝致します」と言った。『自分達の婚姻が引き起こした「問題」に対して謝罪する前に。』

→小室圭は、このスキャンダルや圧力の結果、法律を学ぶために米国に留学し、9月に帰国したばかりだ。

→事実関係が全然分かっていないよね。お膳立ては眞子がやったと会見で眞子自身が自分から言ったやん。

→『自分達の婚姻が引き起こした「問題」に対して謝罪する前に。』

→訳されていませんねえwww。

しかし、全国紙に掲載された噂は、その痕跡を残している。眞子はPTSDを患っているということにしている。彼女の交際がメディアに取り上げられたからだ。10月上旬の記者会見で、今後の結婚生活に対する「度重なる批判や罵倒」によって、彼女は「無力感」を味わっていると宮内庁は報じた。「このままでは耐えられるかどうか分からないとおっしゃられています」と、加地隆治皇嗣職大夫は言った。小室眞子が太平洋の向こう側に逃亡した理由の一つかもしれない。

セーラー服事件

Le prince Fumihito, la princesse Kiko et la princesse Mako posent ensemble lors d'une garden party impériale. (Tokyo, le 16 mai 2017.) Abaca

眞子が米国でどのような仕事に従事するかはまだ不明だが、しっかりとした教育を受けていることは確かである。1991年10月23日、皇太子文仁親王と紀子妃の間に生まれた3人兄弟の長女であり、妹の佳子(26歳)、弟の悠仁(15歳)と共に成長した。秋篠宮家の眞子(旧姓)は、幼少期から青年期にかけて、都心にある名門の跡継ぎ専用の施設「学習院」で過ごされた。当時、メディアはこの控えめな少女のことをほとんど語らず、その貴重な映像は公式ルートだけで放送されていた。

しかし、2004年には、日本の女学生のユニフォームであるセーラー服を着た王女が登場したことで、一躍脚光を浴びることになった。彼女を制服姿で描いたスケッチはネット上で共有され、すぐにビデオモンタージュとしてまとめられ広まった。眞子は、ダブリンのユニバーシティー・カレッジから三鷹の国際基督教大学まで、比較的無名で勉強を続けた。そこで2014年に美術・文化財の学位を取得した。そこで、将来の夫となる人物に出会った。「彼の明るい笑顔」に惹かれたのだと、彼女はテレグラフ紙に打ち明けた。

日本の「メーガン・マークル」?

その後、2人は遠距離恋愛となり、眞子さまはレスター大学への留学を選択し、2016年1月に博物館学修士を取得した。2013年12月、小室圭がロマンチックなディナーをしながらプロポーズした。2017年9月に婚約を発表。イギリス、タイ、オーストリアを訪れ、エジンバラに1年間留学したこともある旅行好きの若い女性は、大手法律事務所に勤める夫のいるニューヨークを選択した。メディアや家族の目から遠く離れていても、彼の心には近い。この決断により、元王女はメーガン・マークルと比較されるようになった。そして、彼の響く「メグジット」に。


この記事は10月26日に公開されたものを更新したものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?