彼女が救われるとき-「受容」、「昇華」、そしてそれを聴く耳の「需要」-

「助けてください」
その彼女の腕の中には、生後数ヶ月の幼児がいる。もはや、在るとしかいえないDasein を抱えながら彼女は奔っている。
奔って走る彼女の眼の前に
「死人がいない家をみつけてきたら、生き返らせてあげる。」
という人物が現れる。いわゆる、Gotama Siddhattha(以外、仏陀と表記)である。
彼女は必死に頼む。みつけてみます、だから、助けてください、と。
しかし、歩けど歩けど死人が出ていない家が見つからない。徐々でありながら、彼女は自らの運命を「受容」してゆく、そして、仏陀のまえで、抱き続けた、我が子を葬るように頼む(諸説あり)。
我が子が、昇天してゆくなかで彼女の精神も「昇華」されてゆく。
(cf:Caravaggioの絵画の「我が子を捧げるアブラハム」-イサクの犠牲-)
「人間」とはよく創られたことばだと思う。人(ひと)と人(ひと)の間柄的存在なのだから。
   彼女にとって幸いだったことは、聴いてくれる耳や視てくれる目があり、そして感じてくれるこころが存在したことだと、私は思う。


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