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黒ヘル戦記 第七話 失踪者(前半)

『情況』2021年秋号に掲載された反体制ハードボイルド小説

第七話 失踪者
1985年11月、国鉄同時多発テロ事件が勃発。浅草橋駅襲撃に参加した男は、栃木県の温泉地で名を変え、地下に潜行した。

 1985年以降、年間の行方不明者数は7万人台から10万人台の間で推移している。最多は2002年の10万2880人、最少は2020年の7万7022人。
 男女別では男性の割合が高く、年齢層別では20歳台が最も多い。
 警察庁統計資料より

 あちこち旅をしてまわっても、自分からは逃げられるものではない。
 アーネスト・ヘミングウェイ


 1

 警視庁久松署の伊藤刑事は電話の向こうでこう言った。
「じっしこうえんです。えーとですね、数字の十に思想の思、思うという字です。これで、じっしと読みます」
 電話の声を聞きながら、俺はメモを取った。十思公園。この名前には覚えがある。
「そうでしょう。ここは江戸時代、伝馬町牢屋敷があったところで、吉田松陰の終焉の地として有名です。テレビでもよく紹介されます」
 そうだ。思い出した。吉田松陰ゆかりの地だ。船戸健一もそう言っていた。
「武川さん、明日はお車ですか、電車ですか」
「電車で行きます」
「電車なら地下鉄日比谷線の小伝馬町駅です。この辺りは駅がたくさんありますが、十思公園は小伝馬町駅の真上です。駅からエレベータで上がれます」
「駅とつながっているんですか」
「そうです。久松署は十思公園から徒歩で10分程度のところにあります。一応、署の住所を言っておきますと、東京都中央区日本橋久松町……」
「あー、大丈夫です。こっちで調べますから」
「そうですか。では、明日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
 俺は電話を切ると、パソコンを立ち上げてグーグルマップを開いた。
 十思公園はすぐに見つかった。なるほど、小伝馬町駅の通路は公園の下まで伸びている。吉田松陰の首が落ちた場所に地下からエレベータで行けるようになるとは、松蔭先生も、さぞ驚いていることだろう。
 伊藤は「駅がたくさんある」と言っていたが、小伝馬町駅の他に、都営浅草線の東日本橋駅、都営新宿線の馬喰横山駅、JR総武本線の馬喰町駅、新日本橋駅などがあった。総武線の秋葉原駅、浅草橋駅も近い。
 船戸が吉田松陰ゆかりの十思公園に行ったのは一九八五年十一月二十九日の早朝。マルゲリ(マルクス主義者同盟ゲリラ戦貫徹派)全学連の決死隊約百人が、「国鉄分割民営化反対」を掲げ、浅草橋駅舎を焼き討ちした日である。船戸はその襲撃メンバーの一人だったのだ。
「秋葉原から十思公園に行ったのですが、私は田舎の人間ですので、東京の地理なんてわかりません。それで、橋を渡る時、班長の坂本さんに聞いたんです。この橋はなんていう橋で、この川はなんていう川ですかと。副長の岡田君が、この橋は万世橋で、この川は神田川です、と教えてくれました。ああ、これが有名な万世橋で、これが有名な神田川かと思いました。が、坂本さんはこう言いました。違うよ。この川はルビコン川だ」
 万世橋から十思公園に行くルートをグーグルマップで調べてみた。1100メートル、徒歩15分と出た。
 船戸たちは十思公園で他の班と合流し、マルゲリの白いヘルメット、鉄パイプ、火炎瓶を受け取り、武装を整えた。
「公園には三十人位いたと思います。隠密行動ですので、みんな無言です。だけど、公園は熱気に溢れていました。みんな息が荒く、目が光っていました」
 十思公園には吉田松蔭の碑が建っている。白ヘル部隊は、革命家の大先輩である吉田松蔭の碑に一礼して公園を出た。ここから浅草橋駅は1100メートル、徒歩14分の距離である。
「駅についたら駅施設を破壊し、炎上させ、駅機能を麻痺させる。駅員の妨害があっても鉄パイプなどで威嚇するに留め、人的被害は極力出さないようにする。そういう作戦でした」

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