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星野仙一とジャニー喜多川

「マスコミは、ジャニー喜多川の犯罪を知っていたくせに、なぜ、黙っていたのか」「犯罪を黙認していたマスコミも同罪だ」というマスコミ批判が盛んである。

マスコミはなぜ黙っていたのか。
私は、星野仙一のケースと同じではないかと思っている。

中日ドラゴンズの監督時代、星野仙一は毎日のように選手を殴っていた。が、それが問題になることはなかった。スポーツ紙の記者なら誰でも星野の暴力を知っていたが、それを記事にする記者はいなかった。
星野の暴力が黙認されたのは、「野球界はそういうところ」と誰もが思っていたからだ。実際、選手を殴っていたのは星野だけではない。長嶋も王もやっていた。当時の野球界は、まさしく「そういうところ」だったのだ。
マスコミがジャニー喜多川の犯罪を記事にしなかったのも、「芸能界はそういうところ」「そんなことをいちいち問題にしていたら芸能界は成り立たない」と思っていたからだろう。

もう一つ、記者が星野の暴力を黙認した理由に「趣味で殴っているわけではない」というのもあったという。
星野の暴力には「選手を鍛える」「チームを強くする」という目的があった。それが、方法として適切かどうかは別として、選手もマスコミもそう理解していた。
だから、星野の暴力は「暴力とは別のもの」と受け止められていたのである。

それに対して、ジャニー喜多川はどうなのか。たんに趣味でやっていたのか。
私は喜多川にも「彼らをスターにする」「事務所の力を大きくする」という目的があったと思っている。つまり、今、「性加害」と言われている喜多川の行為には「タレントが芸能界で生き延びるため、事務所が業界で力をもつための性接待のレッスン」という意味があったということだ。

「You、スターになりたかったら、テレビ局の偉い人に気に入られるようにしなさい。それには、こういうテクニックを身につけないとダメね」

喜多川はそんな「夜のレッスン」をタレントたちに施していたのではないのか。メディアが喜多川の犯罪を黙認したのも、この期に及んでもテレビ局がジャニーズタレントを使い続けるのも、すべてはその成果ではないのか。そう考えると、いろいろと合点がいく。

もちろん、これは私の妄想である。が、女性アイドルの性接待に関するカウアン・オカモト氏の告発を聞いていると、こんな妄想も湧いてくる。
芸能界が「そういうところ」でないことを祈る。

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