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マタイ福音書22:34~40「シェガレ神父の説教」

A 年間30主日 マタイ22,34-40 
愛の掟 2023 渋川 

「先生、どの掟が最も重要でしょうか」と, 律法の専門家がイエスに質問をしました。律法の掟は631ほどがあって全部守れないので、当時のユダヤ人の学者の間に最も重要な掟はどれかという議論が盛んでした。最近日本でも、価値観の多様化が進む状況のなかで、生きるには守らなければならない一番大切な掟は何かと, 人々特に若い人が知らないで悩んでいる。昔だと、思いやり、親孝行、年寄りへの尊敬などといった「村」の価値観が空気のように当たり前で、次の世代に自然に伝わっていたが、今は親も先生もまた教会の神父も大切なものはあまり教えないので、若者はパソコンに答えを探し、危ないサイトを訪れたりして、騙されたりして、悩んでいます。
イエスは同じような悩みを感じた当時の学者や一般の人に一番重要な掟は何ですかと聞かれると、「神である主を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」とはっきり答えていました。その時イエスはギリシャ語のアガペ、ラテン語のカリタスという言葉を使いました。アガペは無償、無条件の愛を意味します。皆さんご存知のようにキリシタンを指導していた宣教師たちはこの愛を「ご大切」と翻訳し、愛することは神を大切に思うと同時に神の姿と造られた隣人を大切にすることだと教えました。 
イエスの言う愛の掟にはいくつかの特徴があります。まず、心、精神、思いを尽くすことです。心・精神・思いは英語で言うとハート、ソール、マインドですが、一つが欠けると何かが欠けてしまいます。尽くす愛は口先ではなく、実践に至る愛であり、実践が、愛ではないとイエスは度々言っています。小さきイエスの聖テレジャのいうように大きなことでなく、ごく小さい日常の事柄でも、愛が込められたら十分です。 
  愛の掟は律法全体と預言者つまり聖書の教えの完成だとイエスが付け加えます。愛がなければ、断食や施し、祈りも自己満足に終わってしまう危険があります。聖パウロも「愛がなければ、山を動かすほどの完全な信仰、全財産を貧しい人々のために使い尽す寛大さも、無に等しい」と言います。
 イエスの示した愛は私たちにとって模範です。ご自分の命を与えるほどこの世を愛したからです。私たちも自分のもっている財産だけではなく、自分の時間や才能、また自分自身の命さえを与える用意があれば幸いです。
この愛は「してあげる」ことだけではなく、隣人を受け入れることだとイエスは度々言っています。与えることより、受け入れる方は難しい。私たちは国籍と身分が違う隣人を受け入れると同時に互いを受け入れあうことは大切です。また自分を愛し、あるがままの自分を受け入れ、自分の弱さを受け入れることも大事です。
イエスのいう愛は単なる気持ちだけではなく掟です。具体的に守るのは難しくてできないという人がいます。しかし愛は元々神から私たちの心に注がれた恵みです。神の愛を受け入れ、他の人と分け合っていれば、この愛は本物となります。この愛を神からいただき、イエスから学び、生活の中で実践できるよう努めていきたいと思います

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