見出し画像

英語に「ネイティブらしさ」は必要?

どの言語を学習するときにも、
「ネイティブ(母語話者)の語感」は重宝されます

何故でしょうか?

1つは、その言語の使用者の大多数がネイティブだからです。

そして、「何が自然な表現か」を判断するのもネイティブだからです。

どの言語であれ、文法上の条件を満たせば、ネイティブが考えているよりもずっと多くの表現が可能です。だから学習者は「正しいけれどおかしな表現」をたくさん作れるのです。

語学学習の難しさは、「ネイティブの語感」という、理屈では説明できない部分にあると思います。

さて、英語はどうでしょうか。

英語は日本人の多くが最初に学ぶ外国語で、
当然のように「ネイティブの語感」は重宝されます。
いや、重宝どころか、盲信や崇拝とも言える場合もあるかもしれません。

しかし、果たして英語学習でも、他の言語学習と同じように、
「ネイティブらしい表現」を飽くまでも追求すべきなのでしょうか?

この問いを立てるのは、英語が世界の言語の中でも特殊な地位を占めるからです。

ここで皆さんに質問です。

英語の母語話者の数はどれくらいいると思いますか?
そして、母語話者数における英語の順位は何位でしょうか?

***

英語の母語話者の数は約4億人と言われています。

世界第3位の人口を誇るアメリカが3億4千万人ほどなので、それよりあと数千万人多いほどです。

約80億人と言われる世界人口において、英語の母語話者人口は約5%、20人に1人です

事実上の国際共通語と見なされながら、実は英語ネイティブは世界人口の5%ほどしかいないのです。

そして、母語話者数のランキングでは、英語は世界第3位を占めます。
1位は断トツで中国語、2位はスペイン語。4位のヒンディー語の母語話者数は英語に迫っています。

https://www.ethnologue.com/insights/most-spoken-language/

一方で、国の公用語に英語が入っていたりと、母語に加えて「第2言語」として英語を日常的に使用する人たちも存在します。または、日常では英語は必ずしも使用しないものの「外国語」として英語を流暢に話す人たちも存在します。

つまり、大きく括って「ノンネイティブ」です。
これらの人の数が、ざっと見積もって約12億人も存在します。
ネイティブの3倍、インドや中国の総人口に迫る勢いです。

結果、「英語話者」の人口は世界全体で約16億人ということになり、英語は話者人口で堂々の1位を占めることになるのです。

同上

さて、このすぐ上のグラフ(Ethnologueウェブサイトより引用)を見てください。他の言語と比べたとき、英語に際立った特徴があるのにお気づきでしょうか?

そう、「話者」に占める「ネイティブ」の割合の圧倒的な低さです。

「英語話者」と呼ばれる人たちのうち、ネイティブの占める割合は4分の1程度でしかないのです。

逆に言えば、英語話者の大半は他の言語も話せるんですね。

英語が世界一の話者を誇る言語であるのは、話者全体の4分の3を占める「ノンネイティブ」のお陰なのです。

しかも、英語ネイティブの多く住む欧米諸国では少子高齢化が進み、
ノンネイティブの多いアジア・アフリカ諸国では人口増加が進んでいるので、ノンネイティブの英語話者全体に占める割合は今後さらに増えていく可能性があります。

上の図で見ると、中国語やスペイン語はネイティブの数が話者全体の圧倒的多数を占めていますよね。日本語の場合であれば、ネイティブの割合はさらに高くなるでしょう。

ある言語の話者の大部分はネイティブである
これは、語学を学ぶ際に私たちが当たり前の前提と考えていることではないでしょうか。

しかし、英語に目を向けてみると、実は「ネイティブの英語」は英語話者の中でも少数派であることが分かります。

日本語の語感は、日本語ネイティブが決める、言うなれば「日本語はネイティブのものだ」と表現することも可能ではないかと思います。

ですが、英語については「英語はネイティブのものだ」とは言い切れない状況にあるのが現実なのです。

これは、英語が国際語であるのだから当たり前なのです。
国際語になるためには、ノンネイティブがネイティブを数で大きく上回らなければなりません

でなければ、その言語は中国語のように、話者数は多いけれど局地的な言語のままでしょう。

ラテン語など、かつての国際語に至っては、ネイティブが存在しなくなり、ノンネイティブが話者の100%を占めた言語もありました。

国際語になるには、ネイティブの存在は不要とさえ言えるかもしれません。

もちろん、学習者が学ぶべきスタンダードを提示するために、ネイティブを基準とする、というのは有効です。

が、英語についてはそのスタンダードさえも複数存在する上に、同じ国の中でも様々な方言が存在し、ネイティブの中でも語感に統一性がありません。

このような英語の事情を踏まえると、ネイティブ一辺倒になる必要はないと私は思います。

実際、ヨーロッパの大陸部(つまりイギリスやアイルランド以外)に行けば、「ネイティブはそう言わないよ」という英語が当たり前のように通用しています。それが国際語たる英語の現実です。

「英語はネイティブだけのものではない」のです。
「英語は誰のものでもあるし、誰のものでもない」とさえ言えそうです。
(脱線しますが、これが英語とフランス語の大きな違いかもしれません)

「ネイティブらしい表現を身につける」「ネイティブのような発音を目指す」と考えるとき、なぜそうしたいかを一度考えてみるのも大事です。

ネイティブらしい表現・発音を身につけるのは、その言語の使用者の多数がネイティブであればこそ重要になってきます。

ですが、英語の場合、必ずしもこの前提条件が成り立たないのです。

成り立つ場合は、例えばイギリスやアメリカ、オーストラリアなどでネイティブと交流して暮らす場合でしょう。

ただその場合の「英語」は「イギリス英語」「オーストラリア英語」といったように「局地的な言語」であって、「国際語としての英語」とはまた異なるのです。

英語ネイティブを目指すこと自体は否定しません(私も目指したい)。

むしろ、努力しても一向にネイティブに近づけなくて落ち込んでいるときなどに、この記事を読んでいただければ幸いです。

英語は、大多数のノンネイティブ話者に支えられた、国際語なのです。

(参考文献:堀田隆一(2011).『英語史で解きほぐす英語の誤解』.中央大学出版部.)

もし宜しければサポートいただけるととても嬉しいです!