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韓国の思い出

「オリンピック中だから来ることにしたんでしょ?」

 一時帰国のついでに韓国を訪れた僕を、わざわざ蔚山(ウルサン)からソウルまで迎えに来てくれた友人は、冗談と不安の入り混じった声でそう言った。

 僕が初めて韓国を訪れたのは2010年の3月。それから実に8年近い時を経て訪れたソウルは、平昌五輪の賑わいの真っただ中にあった。

「お母さんの世代は、オリンピックが終わったら戦争が始まるんじゃないかって本気で思ってる。私はそんなことないと思うけれど、それでも不安にはなるよね」

 その後南北首脳会談が実現したので、今からすると杞憂だったが、確かに平昌五輪当時の半島情勢は一触即発の緊張感が漂っていた。そんな韓国人の不安をよそに一観光客として訪れた僕が、友人の目にはとても呑気に見えたのだろう。

 緊張感は南北間だけにあったわけではない。地下鉄に乗り、僕がだいぶ衰えた日本語訛りの韓国語で友人と話をしていると、周りの人が怪訝な視線を向けてくる。李明博政権から朴槿恵政権、文在寅政権を経て、日韓の関係も緊張しており、何となく日本人であることに居心地の悪さを感じたりもした。

 2010年から8年しか経っていないのに、いや、8年も経ってしまったからか、韓国の雰囲気は変わったように思った。

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 僕が初めて韓国に渡ったのは、交流団体の訪韓プログラムでのことだ。まだ李明博大統領が竹島に上陸する前で、日韓関係は良好だった。毎日歓待を受けて、現地の韓国の方々とも交流し、楽しい滞在を過ごした。しかし、こういう交流プログラムにありがちなことで、友好を強調するあまり、両国が抱えている暗部に触れることはない。韓国の学生もニコニコするだけで切り出さない。このアンバランスが、自分には何だか不自然に思えた。

 軍事境界線を訪問した際、参加者が仲良く記念撮影をしている中で、ある参加者が一人、醒めた様子で、「ここが南北対立の最前線なのに、笑って写真を撮るなんて自分にはできない」と呟いていたのが印象に残っている。その後ソウルに戻ってからは、このソウルの繁栄が、ガラスの床の上に積みあがった、脆いもののように思えてしまった。

 1週間以上にわたる歓待でコチュジャンを過剰摂取したせいで胃痛に悩まされたことがきっかけとなり、結局僕は朝鮮半島の専門家の道を目指すことを諦めた。料理との相性は大事だ。そのことを協会の方に打ち明けると、もちろん協会の方は寂しそうな顔をしていた。

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 訪韓団では自由時間がなかったから、本格的なソウル観光は今回が初めてだ。友人がまめまめしくネットで「マッチプ(美味しい食事処)」を検索し、僕に色んな料理屋に連れて行ってくれた。どの店の韓国料理も美味しかったし、翌日胃痛になることもなかった。

 昌徳宮や宗廟のガイドは韓国語を申し込むことにした。僕が窓口に現れて、韓国語で話すと、窓口の人は若干戸惑った顔をして、日本語のツアーもありますけどと言う。以前は韓国語を話せば喜ばれたのに、今は日本人が韓国語を話すくらいでは驚かれない。しかも自分の韓国語力はだいぶ落ちている。それから、中国人にさえ中国人に間違われる顔なのに、韓国人にはちゃんと日本人に見えるというのが新鮮な驚きだった。

 韓国語のガイドでは、必ず日本が登場する。大抵悪者だ。秀吉の朝鮮出兵の後、朝鮮王朝はそれ以前のレベルに戻れなかったというのだから、相当被害は酷かったのだろう。朝鮮王朝は記録を細かく残しているという説明のところにも、「日本のサムライはそんなことしないけど」と言ってガイドさんがくすりと笑っていた。きっと日本語ガイドでは省かれるのだろう。こういう話を聞けるのはむしろ興味深かった。

 友人も「この数だけしか宗廟を作ってなかったから、ちょうど収まるだけの王様が現れた後、日本に滅ぼされたんだよ」と気まずそうに笑った(後でガイドから、増築されたという説明を聞いた)。

 僕の友達は、ドイツ留学中に日本人の留学生から「日本の朝鮮植民地化は良かった」と演説されてかなりショックを受けたらしく、元々の日本嫌いに更に拍車がかかっていたらしい。印象として、欧州に集まる東アジアの留学生はいずれも欧米志向で、母国の隣国があまり好きではない。

 ドイツにいる時は僕たちはドイツ語で会話していて、あまり踏み込んだ話はしてこなかった。仲良くなって暫くしてから、「日本はまだ嫌いだし、あなたのことは日本人だからではなく友人として仲良くしてる。でも、いつか日本のことを愛することができるようになりたい」と友人が話してくれた。

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 ソウルは不思議な場所だ。京都のど真ん中に東京が作られたような感覚を覚える。僕の泊まった辺りは郊外の労働者向けの団地が多く、どことなく昭和が残る街並みだったが、光華門広場から李舜臣像と同じ方向にソウルの夜景を見上げると、最新の街並みが広がっている。

 東京からソウルに来ればまだ懐かしさを見つけることができるのかもしれないが、アフリカから旅行に来た僕にとっては全てが輝いて見えた。

 街の中心に大国の大使館が並ぶところが、勤務していたベルギーの旧植民地と重なるところがあったが、あの国がここまで来るのには相当時間がかかるんだろうなと感慨に浸っていた。この大都市を首都に持つ国を日本はつい75年前まで植民地にしていたのかと思うと、その発展ぶりには驚きを隠せない。そして平成の30余年の間に、両国の差は更に縮まっている。

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 この8年間で韓流ブームの牽引役が若者に移る一方で、以前は何となくタブー視されていた嫌韓本が飛ぶように売れるようになっている。日本語や韓国語で互いの国について客観的な視点で書かれた本を探すのは難しい。韓国の日本たたきに僕はうんざりするし、ドイツの慰安婦像の撤去の話に友人はSNSで「良くないね」のボタンを押していた。根本的なところでは分かり合えない。それは分かっている。

 それでも、この国のことが大嫌いにも大好きにもならないのは、韓国語を専門にすることを諦めたおかげかもしれない。皮肉なことだが、ドイツという別の視点を手に入れたことによって、僕はちょうどいい距離感を持って半島を見ることができるようになったようだ。

 次に行くときまでには、どんな発展を遂げているのだろう。「あなたの話す外国語の中で、一番韓国語が下手だよね」と腹蔵ない友人に笑われないように、今度行く前には、もう少し韓国語をブラッシュアップしておきたい。


 


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