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「終点の次は何処」

お久しぶりです。

現代政策学部4年、体育会サッカー部の野中在脩です。

前回はまわりくどい言葉使いで、大変失礼いたしました。

今回は単刀直入、歯に絹着せず、赤裸々に語ります。


私はこのnote1つが作品だと思って真剣に書きます。
寿命には限りがありますが、作品は一生残り続けますからね。

訂正します。今回も野中、めんどくさいです。


さて。

これを見れば私の7割は分かると思います。
ちなみに残り3割は自分だけが知ってます。
口外するつもりはありません。今のところ。
人って少し分からない位の方が興味をそそるでしょう?
そういうものです。


今回は目次形式で回りくどい野中の文をなるべく分かりやすくご覧いただけるかと、、

目次
はじめに(生い立ち、雑多な話)
1.サッカーを始めたきっかけ
2.サッカーを本気で始めたきっかけ
3.続・今後の展望





はじめに
2000年5月19日に青森県青森市に長男として生まれました。ミレニアムボーイです。
当時両親は共働きでおばあちゃんが保育園の送り迎えと、帰ってくるまでの面倒を見ていただいておりました。
また会いたいなあ。

生きてます。

小学校1年生のおわりに父の仕事の関係で宮城県仙台市に家族で引越し、小学校をここで過ごすことになります。
ありがたいことに今でも連絡をくれる友人ばかりで、とても良い街でした。
ちなみにこの頃の趣味は専らゲームで、夢はゲーマーでした。
この後青森に1人で戻ったり、実家が岩手県になったりしまして、地元を問われるといつも返答に困るのですが、東北ということにしましょう。
地元は東北。
年末年始は地元に帰りたいです。



1.サッカーを始めたきっかけ
小学校二年生の時、友達に誘われて強豪、吉成ウイングスに入団しました(当時市大会敗退の常連)。
転校して間もなく友達も少なかったので友達づくりも兼ねてサッカーを始めたのがいちばんの理由です。
運動を全くしてこなかった(逆上がり、登り棒は今でも些か賜われたものではありませんが)ため、試合に出ると他の親御さんたちに心配されていたほどでした。
白くてガリガリで見るからに運動神経悪い子がふわふわ走ってました。
でも初めての試合の日にゴール決めて、あれ?決めちゃったってなった思い出が蘇ります。
なんか、転がってきました。ころころと。

白くてガリガリでふわふわにころころです。



2.サッカーを本気で始めたきっかけ
転機です。
所属していたチームでは、6年生中心のサッカーマジチームと、低学年が中心のまったりサッカーやろうよチームに分かれていました。
誘ってくれた友達は、既に上の学年の試合に出ていました。
4年生になり、それなりに身長も大きくなった私は、

もちろん後者でした。
未だ私は転がるボールを追いかけているのか追いかけられているのかまだ分からないレベルでした。
ころころ。

母が夕方学校に用事があり、夕方はサッカーガチチームの練習の時間のため、高学年に混ざっている同学年の友達の練習を見ることにしました。
サッカーの練習着にトレシューを履いて。
せっかくなら入るかと言われ、混ぜてもらいました。

速さや技術が当時の私には感じたことない感覚で、
そこである1人の友達から、
「お前はサッカー向いてないよ」
と言われ、野中、号泣。
帰ってから、親も一緒に泣いてくれてた気がします。

次の日から私はほとんど友達と遊んだ記憶がありません。

小5で県大会ベスト4、小6では東北の選抜に呼んでいただいたり、そこからサッカーの実績らしいものが輝きだしましたが、その話は別の機会にしましょう。

自分のnoteに書きます。
探さないでください。
心の掃き溜めですので。



3.続・今後の展望
前回に少し付け足して。

プロサッカー選手は勿論諦めていません。
とことんやりますよ。
足止めた時が負けです。

あとはもう少し勉強したいです。
進学を考えていたのですが、いかんせん始めるのが遅く、時間が足りませんでした。
後輩の皆さんにはぜひ私を反面教師にして頂いて。
何事も計画的に。
南陽君と原山君はご利用は計画的にお願いします。

それと、
実は、ある有名サウナーさんと将来的にサウナを作るお話をしまして。
もう少し後ですが、これもいつか皆さんにご報告できればと。





すみません、まだ書き足りませんでした。



4.終点
私の大学生活は1年から3年は割と順調でしたので割愛します。

4年目が紆余曲折ありまして、


シーズン開幕戦は、浅賀主将が怪我のため出場できず、キャプテンマークを任せていただきました。
開幕戦は初めての舞台にチームが萎縮してしまい、0−1と敗戦してしまいました。
キャプテンとしての役割は不完全でしたが、内容としては、これまでやってきたことは間違っていなかったことがここで証明できたと思います。


正直辛かった、ポジション変更〜

卒業式の小学生に当てはめて再生頂けましたでしょうか。

夏の遠征で監督に勧められてボランチにコンバートしました。
多少ボールを持つことには自信があったし、何より自慢の持久力を活かせるポジションとして興味があったので、新しい形でチームに貢献したいと思っていました。
ただ現実はそんなに甘くはありません。
ほろ苦いってもんじゃなかったです。実にビター。
自分の実力不足も勿論でしたが、何より仲間から、ミスしてはあ、みたいな反応されるのが1番つらかったです。
今までやってきたポジションなら一回ミスしてもプレーで取り返せる自信がありましたが、守備を長年やってきた自分が攻撃でみんなに期待を持ってもらえるようなプレーをすることは簡単ではありませんでした。
ボランチというポジションでチームに貢献しなければいけないのに経験不足で何もできない自分への不安と、2年間ほとんどの試合で90分戦った自信が自分の中で水と油のように自信と不安が乖離された感情としてそこにありました。

もっとやれるのに、、

正直今から自分がやるべきポジションではなかったです。

ただその中でも公式戦で使ってくれた監督に感謝を、そして試合に出たという誇りを持つことは絶対に忘れません。
そこには出たくても出たかった仲間がいるし、応援してくれた周りの方々が必ずいます。

後味は実にビター。
でもこれが私の大学サッカーの終点です。



5.始点
正直辞めるか迷っていましたが、最後の試合のメンバー外の連絡が来た日から朝も起きれないので、続けます。

そう。
ここからが始点です。
終点は目的地を切り替え、始点になります。

ここからですよ人生。
まだ何も成し遂げていません。
ここからの世界は試合に出た出てないは全く関係ない。
どんな形でもいいから成功の狼煙をあげようじゃありませんか。


またいつかみんなと会える日を楽しみにしています。
暫し頑張りましょう。




追伸
おわりに

この場をお借りして、これまで私野中在脩に関わって下さった両親を始めとする全ての方に感謝申し上げます。
皆さんなしでは今の私は絶対にいないです。
まだまだ未熟で皆さんにご迷惑をおかけするかもしれませんが、これからも私に(やさしく)関わって頂けると嬉しいです。
ありがとうございました。
大好きです。

城西ファミリーの今後に幸あれ。

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