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「選択肢は無限大」

選択肢は無限大

経営学部マネジメント総合学科
1年 茂木琉貴

栃木SCu-18出身のもてぎるきです。
俺は栃木県の足利市に生まれました。
今までの所属チームは、
FC毛野→足利市立毛野中学校→栃木SCu-18となっています。
全然エリートでもなんでもありません。
書き方もあまりわからないので、小学生の頃から自分の人生について話していこうと思います。

小学3年生の時にFC毛野という地元のチームに入りました。特に強いチームでもなく、むしろ弱いチームでした。その中で自分はめっちゃボール持ったりして自由にサッカーをさせてもらっていました。ボランチでボール持ちすぎていたせいで、監督に「もっと危機感を持ってプレーしろ」と言われ6年生の頃からセンターバックの生活が始まりました。なんとなくやっていましたが今考えたら意味がわかりません。
センターバックで地域リーグを戦い、7試合14得点のスーパープレイをしたのは思い出です。

中学は足利市立毛野中学校サッカー部として始まりました。ここも強いわけではなく、自分にとってはとても不満はありました。
まず、サッカーでは自分の一個上が部員0だったため、1年の3学期からはもうトップチームとして活動していました。荒れ果てた土、変な形したゴールポスト、穴の空いたゴールネット、やる気のない弱すぎる相手選手、こんな環境の時もありました。顧問が来たら運がいいレベルで先生も来ません。基本自分たちだけでトレーニングしていました。ただこの3年間は自分の人生で1番サッカーに熱が入っていて本気で取り組んでいたと思っています。

高校では部活ではなく、栃木SCu-18に所属していました。この3年間は1番親に迷惑かけてしまいました。
サッカー面では今までよりもレベルが上がり楽しくサッカーをできていました。2年生になり、監督が只木さんという方に変わり自分のサッカーを大きく変えてくれました。
まず、守備を徹底的に指導していただきました。自分は特に守備が苦手だったのでひたすら怒られる日々が続きました。練習ではほとんどが対人メニューでめちゃくちゃキツかったです。ただパスをすると怒られ、自分で行けと言われてドリブルが好きな俺はとてもやりやすかったです。
3年では関東プリンス2部で優勝もでき、大切な経験値を獲得することができました。
親に迷惑をかけてしまったというのは、サッカー面はもちろん、生活面がひどかったです。朝6時起き、夜10時半帰宅、12時過ぎに睡眠、そんな生活が3年間続きました。そりゃ体も壊れます。メンタルがおかしい中、親との良好なコミュニケーションも取ることができず、体がきつくなれば親に当たるなどゴミみたいな人でした。定期代、毎日の弁当、毎日の送迎、1番きついのは俺じゃなく、親だと気づくことができました。本当にごめんなさい。

大学では現在Aチームに所属しています。自由な生活が始まって寝る時間が減り、きつい中サッカーをするのがあたりまえになってきています。正直城西大学にはサッカーをしに来たと思っています。そのため、サッカーにベクトルを向けてやっていかないといけません。まだあと3年間サッカーと本気で向き合える時間があります。どうするかは自分次第なのでモチベーションを上げて、残りの大学生活を楽しみつつも本気でサッカーをして昔の頃に戻りたいです。ライバルでもある海凪太に勝てるように頑張ります。

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