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(前編)日本の「アジア美術」概念を問い直す

今日は日本の美術業界で頻繁に用いられている「アジア美術」という語について考えてみましょう。筆者がこのトピックに関心を持ったのは、5年間のイギリス留学の経験から、世界(特に欧米)と日本では「アジア美術」という用語の定義が若干異なっていると感じたからです。本稿の執筆を通じて自分の頭を整理するとともに、これまでは自明の概念として使用されてきた「アジア美術」という用語を定義することで、今後のアジア美術史研究の方向性を模索してきたいと思います。

21世紀はアジアの時代であると言われます。本稿を執筆している2023年9月時点では、21世紀が何の時代であるかという問いはすでに時代遅れな感も否めませんが、「アジア美術」を理解するためには、「アジア」が何を意味するかが重要です。第1の定義は、地理的な範囲としての「アジア」です。これは西は現在のトルコ共和国、東は日本、北はロシア連邦の一部を含む地域と言えます。この第一の定義は最も広範に「アジア」を捉えており、ニュートラルな定義と言えるかもしれません。第二の定義は、西洋に対して異なる文明や文化圏を示す「アジア」です。これはむしろ「オリエント」という用語の方が適しているかもしれませんが、日本語でも訳語である「東洋(または東方)」という語が長く使用されてきた歴史があります。ただし、「オリエント/東洋」は語源的には「西洋(西欧)」に対置する概念であり、本来は西アジアを中心とするイスラーム世界を指していました。しかし、現代の英語圏では、「東洋人[Oriental]」は東アジア人に対する蔑称として使用されています。したがって、「アジア」という語は地理的な範囲を示す場合と「西洋」の対概念として想定されている場合があり、その二つが一致するという錯覚を起こさせる用語なのです。

このような「アジア」という語が持つ両義性は「アジア美術」の定義に大きな影響を与えています。なぜならば、第一の地理的な範囲の「アジア」には日本は含まれるが、第二の「西洋」に対置するという意味では、近代以降の日本は政治・経済・文化の多方面で先進国、つまりは欧米に近いからです。日本人のアジアに対するこのような認識は日本型オリエンタリズムと呼ばれています。したがって、欧米のアジア美術研究者にとっては日本美術も研究対象であるのに対し、日本のアジア美術研究者にとっては「アジア美術」とは外国の美術の研究です。例えば、アメリカのサンフランシスコにあるアジア美術館は日本美術も常設展示していますが、日本にある福岡アジア美術館では日本美術は常設展示していません。ただし、企画展などで展示されることはあり、アジアとの交流の成果としてコレクションには入っています(1%程度)。なお、福岡市美術館が日本・西洋美術、福岡アジア美術館がアジア美術を担当するという棲み分けが行われています。

注目されるのは、福岡アジア美術館が活動の対象としているのは東アジア、東南アジア、南アジアであり、イスラームが主要な信仰である西アジアや中央アジアは含まれていない点です。つまり、福岡アジア美術館の「アジア(美術)」の定義は「中東」を排除しているのであり、地理的ではない概念としての「アジア(美術)」をさらに一歩進めた定義であると言えます。ただし、パキスタンは中東と南アジアに跨っているので、対象に含まれています。また、福岡アジア美術館のホームページに掲載されている基本理念には、所蔵作品について「西洋美術の模倣でもなく、伝統の繰り返しでもない、変化しつづけるアジアの「いま」を生きる美術作家が切実なメッセージをこめて作り出した、既製の「美術」の枠をこえていくものです。」との記述があり、同館は西洋美術に強い対抗意識を持っていることがわかります。

しかし。このような概念としての「アジア美術」は理論と実際の間に乖離を生み出しています。なぜなら、東アジア美術と南アジア美術でさえ大きく異なるわけであり、両者から影響を受けた東南アジア美術も当然独自の要素も確認できるからです。さらに言えば、東アジア美術は中国美術とその影響を受けた地域の美術であり、南アジア美術はインド美術とその影響を受けた地域と言って過言ではありません(ただし、インド美術に与えたイスラーム美術の影響は大きい。)。そして東南アジア美術は特に近代以降は旧宗主国の美術に影響を受けており、それが国レベルもしくは地域レベルでの固有性に大きく貢献しています。このように実際に域内で制作された美術作品に着目すると、概念としての「アジア美術」は解体してしまうのであり、研究の射程として「アジア美術」を設定することはできなくなってしまいます。

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