2020/6/4「ホドロフスキーのDOMMUNE」!!!!!!! 再配信に寄せて
【2020/6/4】19:00〜
JON(犬)がホドロフスキー監督の前で演奏した番組が再配信されます!!!!
詳細はこちら↓
いきなりですが…私がなぜオルガン弾き、そしてタロット使いになったのか。
それはもともと決まっていたことなのかも知れませんが、最初の強烈なきっかけは私がまだ高校生のころにVHSで観たホドロフスキーの「ホーリー・マウンテン」と、時を同じくして放映されていたデヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス」
これを観たことが本当に大きいと思います。(1992年ごろ?)
どちらも残酷な描写も多く、かなり怪しげなものだったわけですが、家族にも学校にも居場所がなく追い詰められていた私にとって何か猛烈な安心感というか、現実界に存在価値が見いだせない自分だけれど「ホーリー・マウンテン」の世界には存在できる!
私は居ていいんだ!!みたいな…大袈裟ですけど…こういう世界があるんだから私も存在していていいんだ!!と感じたわけです。
それで、1993年に家出(笑)
1994年にジョン(犬)として世に出始めた、という経緯です。
さて、年月を端折って2014年、ホドロフスキー監督の新作の公開のニュースを知り、めちゃくちゃビックリしました!
「あれ?! ホドロフスキーって生きてたんだ?! ええ〜〜!! 」
った感じだった。だって、「ホーリー・マウンテン」が1973年の作品で、私が1歳のころの作品なわけで、確かに「サンタ・サングレ」とかも観たけどそれも90年代の話であって「あれ?! 」だし、それはヤバいっしょ!!
しかも本人が来日すると!! 一体何歳なんだ?!
そして、来日イベントが幾つかあると情報が入り、限定何人というようなイベント幾つか申し込んだけれど行けるのか〜〜抽選当たれ〜〜
と思ってたらUPLINKの浅井社長から連絡あり(実際連絡してくれたのはKさんだけど)ホドロフスキー本人が出演するDOMMUNE(ネット上の番組)で演奏してくれないか、と!ホドロフスキー降臨(って言い方ちょっと違う気がするけど)のオープニングに儀式として生贄を捧げたいけど実際の動物の死骸をお供えするのはマズイので、生贄的意味合いでオオカミ犬であるJONが演奏するのを思いついた。というのです。
めちゃくちゃ光栄で涙出ました。
儀式用のワンド(魔法の杖)を創り、友人のkeinnちゃんに首飾りを提供してもらって本番に挑みました!
本当に本当に貴重な体験でした。
ただ、トークの中で私が占い師であると紹介され、ホドロフスキーは「占いは良くない」と語っています。「占い、Fortune telling」は良くない、と。
ホドロフスキーがタロットでやっていることはFortune tellingではなくて自分に取り付けてしまった余計なものをどんどん剥がして純粋な自分になっていく(というような意味あいのことを言ってた、と記憶しているけど、どんな言葉だったかは忘れてるから6/4にまた観る!)作業だ、と。
ここで私は「あ〜!!私もFortune tellingじゃないんです!!」と言いたかった!!
私は2000年くらいからなんとなくタロット読みになっていたのですが、タロット読みが始まった当初からFortune telling、未来予知としてタロットを使ってないんです。
私自身が未来を決めつける占いが大嫌いだったし、未来が決まっているとは考えていません。本人の行動次第でどうにでも変わる。
そしてその行動を制限しているのは過去の体験や先祖代々からくる体験・記憶、前世から持ち越してくるもの、であって、ここを溶かして本来の自分の行動をしていくと心が幸せだし素晴らしい体験をしていくことになる、ということ。
その「制限しているもの」を外すためのアドバイスをタロットからもらって伝えている作業が私のタロットリーディングなのです。
でも、こういうことはわざわざ語ってなくて、まずは多くの人は「自分を制限している過去からの何か、を自分が採用していて、自分がそれを外すことができる」という発想がないと思うんです。
だから日常的ないわゆる「悩み」恋愛でどうしたとか仕事がどうしたとかの「悩み」を「占ってもらおう」という気持ちで来てもらい、何度かタロットに悩みを相談しているうちに「これはもしかしたら自分を変えればいいってことなのかも」という流れになるというか、別にそれを私がコンセプトとして最初から意図してやったわけではないのですが、タロットをやっていくうちにそういう意図が現れた、んです。
タロットは言葉を使うけれど、その言語を相談者が頭で理解して人生を変化させているわけではないようで、タロットと対話すると何かエネルギーが変わる。
どの言葉もしっくり来ないけれど、ヒーリング?波動調整?のようなことが起こります。
なので、これはホドロフスキーが言っている「精神分析とサイコマジックは違う」の「精神分析」とは違います(タロットが精神分析ではないということ)
でも、タロットは自分で具体的に何かを体験するものではないので(サイコマジックは体験型)、サイコマジックではないのですが、でも、目的は同じであると感じます。
ここ数年、私はヒーリングもけっこう学んでいて、それも疲れを癒やすというより制限を外すタイプのもの。
まぁ、とにかく制限を外せるなら手法は何でもいいんです!
と、すっかり私の「見えない世界」活動の話になってしまいましたが。
2014年、ホドロフスキーに会ったとき、私は実はもぬけの殻の時期でした。
2011の震災、2012年に唯一の本当の意味での私の味方だった猫があの世の先輩になってしまい、あとここに書くとドン引かれそうなことも色々あって、孤独感と…それと同時に精神性がどばーーんと研ぎ澄まされていくような体感があって不安定だったんです。
そのことを手紙にして(ikuちゃんに英訳してもらった)ホドロフスキー氏に手渡しました。
直接アドバイスをもらったわけではないけど、あの日「これでもう大丈夫なんだ!私の制限は順調に外れる」と確信してました。
それから6年、たしかに制限がどんどんどんどん外れて、以前の自分よりよっぽど明るく自由になってる〜〜!!
けど、この制限というのが本当に相当な数あって、まだまだ外せるわけです。
今の私に何千何万も制限があってまだ外せる。伸びしろありまくり、みたいな状態です。これを死ぬ瞬間までにいくつ外していくか、って話なんでしょうけど、外すことが目的じゃなくて外した上で何を体験するか、ということが本質なんでしょう。
体験にどんな意味があるのか分析するとかでもなく、どんな体験をしたから合格、とかでもなく。
体験して「生きてる〜〜!」って感動すればいいだけなんだろな。
その感動度合いをあげていく、ということ、なのか?
あと!実は私の音楽もこれと同じ目的だとわかりました。
音楽の使い方って色々あるわけです。
皆んなで一体感を感じる為に使うとか、何か言葉でメッセージを伝えるために音楽を使うとか。
でも、私は歌詞に重きをおいていないし、定型的なものに興味ないし、バンド組んで数名のエネルギーの良さが…とかでもないし、お客さんと一体になる系統のものでもない。
なんだけども、聞いた人の心の奥のほうに入っていって何か制限を外すもの、という感じ。たぶん、そう。
(演奏してる本人にとって、のほうが大きいので、本当は人に聴かせなくてもいいのかも?)
だから、オルガンの演奏もタロットの活動も別のものではないんです。
まぁ、、、「ホーリー・マウンテン」と「ツイン・ピークス」から始まった表現だから、そりゃそうですよねぇ〜〜、、一貫性あります。
長くなりましたが、6/4の配信、楽しみましょう!!
生きてる〜〜!!生きてるなぁ〜〜!!
JON(犬) SHOKO UEHARA
2020/6/3記す
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