見出し画像

ウマイコト

 私は、その界隈では少しばかり知られたグルメライターで、数誌の連載を持っている。これまで紆余曲折のライター人生ではあったが、この歯に衣着せぬ辛口っぷりが評判を呼んでいるようで20数年これで飯を食っているし、実際に飯を食っている。

 食の好みこそ人それぞれであるとは思うが、現代のグルメシーンにおいてライター界では私の右に出る者はそうは居ないと自負している。その才を店側も熟知しているようで、私が来店すると「これはこれは…」といった高価な壺を見た時のような、または初めて赤子を抱くときのような表情と対応を示してくれる。ただ、サインなどは求められたことのない不思議がある。

 そんなある時、出版社の担当から「次号の連載用に、こちらのフレンチを食べていただきたいのですが。」という知らせが届いた。基本的に食材のアレルギーを含めNGは何1つ無いので2つ返事で向かいたいところなのだが、私の中で1つ譲れない流儀がある。それは、“美味いかどうか”である。当たり前の話ではあるが美味いかどうかについては、食事をする段においてこの上なく基本的なことで極限的に優先される事項である。そのため、今回もこの質問を担当に投げかけた。「その店は、間違いなく美味いのでしょうね。」出版社の担当はこう答える。「それは、もうもちろん。自信をもって推薦できるお店でございます。」毎度繰り出されるこの質問にメールサーバー越しからでも辟易しているのが伝わってくる文章ではあるが、そんなものは知ったことではない。今の私には、“美味いかどうか”が最優先事項なのである。

 取材当日、指定された住所に到着するとお世辞にもキレイとは言えないあばら家のような木材とコンクリート、その他雑草の集合が出迎えた。恐る恐る木製のドアを引き、店内に入ろうとすると不快なまでも大きな銅製のベル音が鳴った。それに反応したのは、店内で談笑をしていたいつもの担当と、店の主人と思われる白髪の初老男性だった。細長い店内は4人座りの四角テーブルが左壁に沿って4つ並んでいるのみといった大変こじんまりとした配置となっており、お世辞にも星を獲得するようなフレンチには見えなかった。

「まあ、いい。外装や内装にかまけて不味い飯を出されるよりも、その点は無頓着だか美味い飯を出す方が遥かに有用な店であると言えるだろう。」そう彼は考え、挨拶もそこそこに指定された席に着いた。程なくしてコース料理の前菜が運びこまれた。ホワイトアスパラガスをマリネして上にはグリーンピースやフェンネルなどが添えらえた彩り豊かな一品であった。だかしかし、「絶品」と唸るほどの代物ではなかった。その後も、ポタージュ・魚料理・肉料理などが順番に運ばれてきた。が、どれも私の想像の範疇を越える料理は一向に現れなかった。私はその料理一つ一つを食べ終わるたびに説教に似たような感想を述べた。また、このような満足できない料理が提供された場合、私はそれらの料理を残すことにしている。それは各方面からお叱りを受ける事ではあると承知していながらも少なからず“辛口評論家”としての自負であった。もちろん今回も各料理をすなわちコース全てを残したうえでデザートを食べ終えた。

 食事がひと段落着いたところで、この店を紹介した担当の方に目線を向けた。担当は「どうでしょうかこの料理たちは。さぞ、驚きでしょう。」と言わんばかりの自信ありげな表情でこちらを見ていた。いささか私は不満な表情と不満な語気で店主と担当をテーブルに呼び寄せた。「ごちそうさまでした。楽しい時間をありがとう。ただ申し訳ないが、私を満足させるようなものではなかった。」私は多くを語らず店を後にしようと帰り支度を始めた。その時店主がこう言った。
「すみません。恐れ入りますが、まだコースは終わっておりません。後一品ございますのでもう少々お時間をいただけますでしょうか。」
そう言われた私は、今にも帰り支度を始めんかと言うタイミングであったため、虚を突かれた。「デザートももう出たが?この後に何が出されるというだ。」店主は、「まあまあ」と言いたげな様子でほほ笑み厨房に消えた。

 ほどなくして、最後の料理が運ばれてきた。私としてはこれまでの料理でこの店のレベルがいか程のものか知れていたので、最低限の礼儀として形式上一口食べて店を後にしようとした。

 料理はリゾットのようなものでなんの変哲もないありきたりな締めの料理と言ったところだろうか。だとしても、デザートの後に出す意味が分からずこの酷評もきっと連載記事に逃さず書いてしまおうと思った。

 リゾットを口に運んだ後の数秒は記憶がない。その衝撃は私がグルメライターとして食べてきたどの料理よりも、そして今後食べるどの料理よりも"美味い"料理であった。それは間違いなく「絶品」であった。私は早々に平らげ、店主を呼び寄せた。
「このリゾットはなんだ。美味し過ぎる。作り方を教えてくれないか。」「いえいえ、そんな大したものではございませんよ。」店主は勿体をつけた。「そんなことを言わずに教えてくれないか。隠し味は何を使っている。」店主は微笑しながらこう答えた。「今日、あなたがお残しになった料理をペースト状にして適当に味付けをしてリゾットに作り替えただけですよ」

 私は何を言っているのか分からなかった。ふと店主立っている先を見ると、担当がニヤニヤと笑っていた。

「これはこれは"上手い"こと、一杯食わされてしまった。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?