見出し画像

山本周五郎『樅ノ木は残った』の凄み

最近になっても、宮藤官九郎さんが『季節のない街』を映画化するなど、人気の作家、山本周五郎。
漫画家の望月ミネタロウさんも、『ちいさこべ』を原作にした漫画を書くなど、一部に根強いファンがいる山本周五郎ですが、一般の読者、特に若い読者は読んでいるのでしょうか。
ぼくはもともと黒澤明監督のファンなんですが、黒澤監督は生涯に監督した30本の映画のうち、3本(『椿三十郎』『赤ひげ』『どですかでん』)が山本周五郎の原作であり、遺作として遺した脚本(『雨あがる』小泉堯史監督作品)の原作も山本周五郎だったように、かなりの周五郎ファンだったと聞いています。
その筋から、とりあえず黒澤明監督が関係した作品のみ、原作小説を読んでいましたが、読んだ当時は「生きづらそうな人生を描く作家だなあ」くらいの薄い感想しか持っていませんでした。
しかしなぜかこのたび、山本周五郎をちゃんと読んでみようと一念発起し、代表作である『樅ノ木は残った』に挑戦しました。
文庫本で上中下巻。
全巻400ページ以上ありますので、1200ページ余りという長編です。
読むのが遅いぼくとしては、かなり気合を入れて読み始めました。

意外?におもしろくて、どんどんのめりこんだ

意外といっては失礼ですが、冒頭がすばらしくて、いっきにのめりこみました。
いきなり、なんだかわからないうちに暗殺シーン。
時代小説なので、「む、何者?」「問答無用じゃ」バサーって感じで斬られます。
立て続けに三人連続で斬られるのですが、二人目と三人目は、何かを察知して、子供と奥さんを逃がします。
奥さんは、夫と運命を共にするために屋敷に戻って、ともに討たれます。
逃げた二人の子供は天涯孤独の身となって、本作の主人公、原田甲斐という老中格の偉い偉い侍のもとに匿われる。
めくるめく展開で、読む意欲はマックス。どんどん読み進めます。
ちなみに、ウィキペディアをはじめ、山本周五郎作品の詳細なあらすじや登場人物表は山ほど出回っていますので、ぼくは緻密な解説はやりません。
とにかく冒頭のスピード感と、このとき暗殺された二人めの侍の子のエピソードがすごくおもしろい。そこだけを説明したいと思います。
三人目の侍の子は原田甲斐に預けられて、それなりに穏当に育ちます。
問題は二人目の侍の子で、16歳の男子なんですが、ちょっとひ弱なんですね。
暗殺事件の後、事件そのものはうやむやになりますが、暗殺されたほうに非があったことにされます。
原田甲斐の尽力により、三人目の子供二人は無事なんですが、別ルートで逃げた二人目の子供一人(宮本新八)は、地方の親戚宅に預けられて、一生日陰者として生きることになります。
おとなしく親戚宅に行けば良かったのですが、なんだか恐くなった新八は、途中で逃げ出します。
命からがら逃げて、たまたま出会った娘、おみやの導きで、おみやの兄、柿崎六郎兵衛のもとで暮らすことになります。
柿崎六郎兵衛は浪人者なんですが、野心があり、新八を脅しの種にして、その藩のお偉いさんから大金をせしめます。
それだけでなく、士官を要求したりして、それが成功したり失敗したりシテハラハラしますが、おもしろいのはそこだけじゃないのです。
おみやのキャラが凄い。
最初、この人は、どこかのお地蔵様にお供えをしているシーンで登場します。
おみやは新八の一つ年上くらいで、若い二人ですから、会話もすがすがしい。
じつに清らかというか、純粋というか、若さの煌めきを感じます。
ところが、巻が進むにつれて、おみやの正体が明らかになってゆきます。
おみやは兄の生活費を稼ぐために、隣町の因業な坊さんの通い妾になっています。
週一だか月一だか知りませんが、密かに寺に通って、住職と寝ているのです。
あんなに純真な娘が、そんな仕事に就かなければならないとは、なんてかわいそうな、と思いますが、読者の同情は、門前町の茶屋に、おみやが立ち寄ったときの、茶屋のおばさんの台詞で吹き飛びます。
「あの住職は、とにかくセックスがしつこくて、吉原上がりの女郎ですら、一ト月と持たないのに、あんたはもう三か月だろう? あんたも隅に置けないねえ」
「あら、いやだわ、おばさん。本当にもう、ぶつわよ」
とかなんとか、軽口を返す。
この女、何者?
と思って読み進めると、寝ているときに、新八の布団に入ってきて、むりやり犯そうとする。
新八は童貞の16歳なので、拒む。
で、おみやの語った内容が、自分はセックスが好きで好きで止められないのだと。
「・・・・・・・」
↑これは、新八の反応でもあるし、読者としてのぼくの反応でもあります。
いや、こんな女をよく描いたなあ。
ぼくが知っている山本周五郎といえば、『日本婦道記』みたいに、ひたすら耐える女とか、主君のためにひたすら耐える男とか、そういう渋いキャラです。
こんなキャラを描いていたなんて。
しかも、このキャラが単なる読者サービス的な、色物かというと、そんなことは全くなくて、その後、本気で惚れぬいた侍のために、「わたし、セックス止めます」宣言をする。
で、その侍に裏切られて、新八のもとに戻り、新八は新八で、いったんはおみやとのセックスに溺れるのですが、改心して侍を捨て、芸の道に生きることを決める。
最後には、二人は夫婦になり助け合ってゆく。
あ、なんかかなりネタばれしてますけど、これって全部、メインストーリーじゃないですからね。
メインは、ウィキペディアとか読書メーターとか読めば分かりますけど、江戸時代の伊達藩でじっさいに起こった御家騒動の話です。
原田甲斐という侍が、伊達のお殿様を裏切った不忠の家臣と言われて、語り継がれてきたものを、山本周五郎は「ちがう。原田甲斐は忠臣だ」と主張して、それを証明するような物語を書いた。
その部分はもちろんおもしろいのですが、ぼくとしては、ここで説明した、新八とおみやの物語が真に迫っていておもしろかった。
ちょっと長いですが、お勧めです。
人生の真実を目の当たりにしたい方はぜひ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?