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これが推し活か! いや、ちがうか?

昨日は、当て所なく街をうろうろしていたわけです。
いやまあ、当て所なく、というのはウソで、例によって古本屋などを巡りながら、ときどき喫茶店に寄っては、戦利品を眺めてにやにやする、という作業をくりかえしていました。
昔、植草甚一が好きで、自分を植草甚一に準えて悦に入っていたものですが、昨日は久しぶりにそんな感じに振舞いました。
しかし、じつをいうと、ぼくの心はそんなふわふわした楽しい気分ではありませんでした。
ぐろぐろと得体の知れない不安が渦巻いている。
この不安をなんとかしたくて、そのヒントを探しに古本屋を訪ね廻った、というのが、昨日の実情でした。
思えば、かつてそうやって古本屋巡りをしていた時は、浪人時代でした。
大学に二浪し、目の前に大きな大きな壁が聳え立っているとしか思えませんでした。
どうやったらその壁を乗り越えられるのだろう。
勉強して合格しなさい、としか言いようがありませんが、勉強なら自分なりにちゃんとやっているつもりだったのです。
いや、古本屋巡りしている暇があったら、勉強しろ、という話だったんですね、本当は。
今は、何に悩んでいるんだろう。
まかりなりにも、仕事はある。
不安定ではあるけれど、食べてはいける。
でもまだどこか充たされていない。
収入が不満?
それもあるが、それだけじゃない。
仕事の内容が不満?
それもあるが、それだけじゃない。
自由な時間がない?
それもあるが、それだけじゃない。
好きなことをやりたい?
そう。好きなことをずっとやっていたい。
なにが好き?
学生時代にやっていた自主映画製作がおもしろかった。
仲間と共に、わいわい言いながら、妄想を形にしていくのがおもしろかった。
でも今はもう仲間はいない。
好き勝手やる時間もない。
無駄な金を使う余裕もない。
だったら、どうすればいい?
その答えが本の中で見つかると思った。
見つからなかった。
ぼくは、王城有紀の『天盆』と、黒川博行の『麻雀放蕩記』と、万城目学の『プリンセス・トヨトミ』と速読の本と時間管理の本を、気の向くままに買って古本屋を出ました。
帰りの電車に乗ろうと、地下鉄の構内に入ります。
ピアノの音が聞こえてきました。
ここには街角ピアノが置いてあるのです。
いつも、いろいろな人が演奏しています。
うまい人もいれば、そうでない人もいます。
今日の人は、ぜんぜんうまくありませんでした。
ピアノの前の椅子に座って、道行く人を睨みつけている男性。
30代くらいでしょうか。
モスグリーンのコートに水色のたっぷりしたマフラーを巻いています。
天然パーマのくしゃくしゃに伸びた髪の毛。
鋭い目つきに、尖った鼻。
それに、一面に漂う異臭がしました。
浮浪者には見えませんが、浮浪者の臭いに間違いありません。
男性は、意味不明な声を上げています。
「おーい」とは「あー」とか、呼ぶような叫ぶような感じです。
時々、ピアノを弄ります。
演奏するというよりは、弄っているだけに見えます。
高いキーのピアノ音が、ガラスが割れた音みたいに聞こえました。
その、ガラスが割れた音に、男性のがらがらの叫び声が被ります。
時刻は夕方の5時。
そろそろ飲み屋の明かりが灯る頃です。
匂いがいやで、ぼくは足早にその場を立ち去りました。
地下通路を100メートルほど歩くと、改札に辿り着きます。
そこで、いったん駅に入りましたが、さっきの音が耳から離れません。
なにかいいな、と感じました。
稚拙さがいい。
数年前に湯河原で立ち寄った、空中散歩館のピアノを思い出しました。
空中散歩館は、個人経営の現代アートの美術館です。
女性の館長がやっていて、亡くなったご主人の作品を展示していました。
ふしぎな瞬間を切り取ったモノクロ写真や、壁一面に描かれた奇怪なペイントに囲まれて、一台のグランドピアノが置かれています。
館長が説明してくれました。
「これは主人が生前に使っていたピアノです。主人は毎日このピアノを叩いていました。なにかの曲を弾くわけではありません。不規則に、でたらめにキーを叩くのです」
やってみると、とても楽しかった。
聞いているほうはたまったものじゃないかもしれません。
でも弾いている自分は楽しかった。
悩みも何も吹き飛ぶ気がした。
技巧とか、構成とか、目的とか、そういうものを一切蹴散らして、自由に体を動かすダンスみたいな感じ。
ダンスの結果、音が出るおもしろさ。
あの時、ぼくがやっていたことを、もっと大胆に街角でやっているんだなあ。
そう思ったとたんに、あの人を記録しておきたいと思い付きました。
このまま帰宅したら、きっと後悔する。
あれは意外と良かったかもしれないぞ、と思い出すだけでは足りない。
動画に撮っておいたほうがいい。
すぐに改札を出て、通路を戻りました。
まだやっているかな。
心なしか、人だかりがちらほらと見えます。
やっぱり、ぼくの思った通りに、名のある人だったんだ。
遅ればせながらファンが集まってきたんだ。
そう思ったら、ちがいました。
あの男性はすでに退場して、次の人がピアノを弾き始めていました。
次の人はすごく上手い。
どこかで聞いた曲を流暢に奏でていました。
しかしぼくはさっきの男性の叫び声のほうが良かった。
周囲を目で探りました。
長身の男性の後ろ姿が見えました。
汚らしい頭陀袋みたいなバックを肩から下げていました。
天然パーマに異臭。
まちがいありません。
あの男性です。
ぼくは一直線に駆け寄って、男性に声を掛けました。
「あの、もう止めちゃうんですか?」
男性は振り返りました。
ちょっとこわいな、と思っていた印象は、まちがいでした。
どこにも害意の感じられない、純粋な瞳がそこにありました。
何事だろうと思って、事態を見守っている様子が伺えました。
ぼくはとにかく話をつなごうと思って、さきほどの叫び声に感動した、という話をしました。
それでも男性に反応がないので、お願いしました。
「動画を撮ってもいいですか? なにか歌ってください」
男性は「いいですよ」とがらがら声で応じてくれました。
スマホの録画ボタンを押して、「いいですよ」と声を掛けると、男性はふしぎな調子でお辞儀しました。
腕をふにゃふにゃと動かして、一礼します。
それから何か始まるのかと思ったら、何も始まりませんでした。
何をしたら良いか分からない、といった風情です。
そこで、インタビューすることにしました。
「いつも、ああやってパフォーマンスをしているんですか?」
「ええ、まあ。街なかで大声を出すと、通報されて警官に叱られますけど」
「あちこちでやっているんですね」
「そうです。先生にもそうしろって」
「先生についているんですか」
「はい。男性なんだけど、髪がこれくらい長い(脇の辺りを示す)先生です」
「どこかの教室で習っているんですか」
「いえ、先生も、あの街角ピアノを弾いているんです。ぼくが勝手に先生と呼んでいるだけですが」
「さっきの、ピアノをちょっと弾いては叫ぶ、というスタイルにグッときました。声がいいですよね」
「ああ、これはちょっと昨日、カラオケを歌いすぎちゃって」
「ふだんはこういう声じゃないんですか」
「ふだんはこういう声です」
男性は歌いましたが、ふだんの声は出ません。相変わらずのがらがら声でした。しかも、歌はあまり上手くありません。
ぼくは苦しまぎれにおかしな質問をしました。
「詞は書かないんですか? あの……心の叫びみたいな詞を」
「詞は書きませんね。小説なら書きます」
「そうなんですか。どんな小説を書いているんですか」
「上村……ちがった。これです。これ」
バッグから取り出した黒いファイルの表紙に白字でいろいろな文字が書き付けてありました。
その中に「上橋菜穂子」とあります。
「ああ、『精霊の守り人』ですね。ファンタジーを書いているんですね」
「いいえ、恋愛小説ですね。だけど、未だ完成させたことがありません」
「恋愛小説って、結末が難しそうですもんね」
「そうなんですよ。がんばって書き終えたいと思ってます」
ぼくは、彼が世に出てきた時に知っていたいと思って、名前を聞きました。
「芸名でもいいですか」
「もちろん」
「タカシナガツカといいます」
「漢字はどう書きますか? 高い低いの高いに、品物の品ですか」
「いいえ、貴族の貴に、ええ~っと、シナは……」
「更科の科ですか?」
「そうです。そうです。更科なんてよく出てきましたねー」
「そばが好きなんで」
「ぼくもそばは好きですよ」
「ガツカはどう書きますか?」
「月に虫のカと書きます」
「どういう字でしたっけ?」
「虫偏に文です」
「ああ」
貴科月蚊さん、覚えておきます。
これだけで、ぼくは帰りました。
次に会う約束もしていません。
どうやらあの街角ピアノには、いろいろとおもしろそうな人が集まるらしいから、また今度立ち寄ってみよう。
自分はピアノを弾くわけでも、歌うわけでもないけど、応援するだけでも楽しいのだな、と分かりました。
応援するのに技術は要らない。気持ち一つあればいい。
人を褒める行為は、100%どこから見ても、善行である。
必要以上に立ち入らずに、「好きです」「感動しました」「ファンです」と表明する行為は、言われたほうは好ましく感じる。特に、パフォーマンスをやっている人にとっては。
それに、プロのアイドルと違って、ぼくの推し活にはお金がかかりません。
パフォーマーの方がCDやDVDを出していたら、買ってもいいけど、それ以上は払わない。(払えない)
リスクが少ないわりに、得られる効果が大きい。
その効果とは、人と一瞬だけでもつながれた喜び。
自分の趣味趣向について、開示できた喜び。
自分の趣味趣向を共有できた喜び(なにしろ、自分の趣味趣向の相手と話しているわけですから、相手も同じ趣味趣向を持っていることはまちがいありません!)
そういうわけで、こういった推し活を今後もやってみたいと思いました。

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