オアシス解散後のリアム・ギャラガーを追ったドキュメンタリー映画「 アズ・イット・ワズ 」【 映画レビュー 】
中1でイエスタデイを聴いて以来、ビートルズを聴き続ける生活を25年以上続けているので、ビートルズサウンドを継承した「 オアシス 」に出逢ったのは、必然だったかも知れません。
大学の寮生活をしているときに、90年代で最も売れたブリットポップでもある「 ワンダーウォール 」を三日三晩リピートしっ放しにして、周囲を呆れさせ、ひと月間のイギリス短期留学では、オアシスTシャツを着て、現地でアルバムを買い、ビートルズとオアシスの聖地巡礼をしたものでした。
そのオアシスのフロントマンであるリアム・ギャラガーの、オアシス解散から復活までの紆余曲折を撮ったドキュメンタリーなのですから、見逃すという選択肢はありませんね(笑)
音楽ドキュメンタリーにありがちなPVの延長線だったり、ライブ映像の引き伸ばしのような展開が全くなく、むしろリアム・ギャラガー本人のパーソナルな姿をしっかり取材している点に、感心しました。
リアム自身が、自分の弱さを見つめ、一歩一歩進んでいく様を見ながら、(良い意味で)丸くなったなあ、と感じ入りました。ファッキンを連発する口の悪さは、健在でしたが(笑)
10代の若いファンの一人ひとりにサインをし、声をかけ、時にチケットまで手配するシーンや、マンチェスターのテロ事件直後に、人たちを励ますために熱唱する姿には、涙が出るほど胸を打たれました。
但し、不満点が、2つあります。
今回、ミニシアターに足を運んだのですが、案内された会場が、まさかの音楽ホールでした。(しかも自分自身、楽団演奏会で使用したことがあります)
しかも、観客席数600。広々とした客席を見渡せば観客数は、たったの6人でした。考えようによっては、ものすごく贅沢なライブ会場ですよね。
しかし、音楽シーンが少な過ぎてサウンドを浴びることが出来ず、やや不完全燃焼だった点です。それだけでなく、オアシスの楽曲は、兄のノエル・ギャラガーが許諾しなかったため、一切流れませんでした。これがひとつです。(解散後に制作された「 オアシス:スーパーソニック(2016年)」は、楽曲満載でした)
もう一つは、作中、終始ノエル・ギャラガーが不在だった点です。登場しても、過去の映像や音声のみでした。
リアムの苦悩だけでなく、ノエル側の視点が加われば、構成にも厚みが加わったのに、と残念に思いました。
リアムは、「奴(ノエル)は変わったと皆が言う。どうせ、ひでえクソ野郎だ。俺もクソだが、ひどくはない」とラブコール(?)を送っていますが、ノエルの返答も聞いてみたかったですね。
ところで、カメラを惹き付けるリアムのキャラクター性と、オーラ(魅力)が見どころです。
離婚騒動やマスコミに追い回されたり、新生バンドが空中分解したりと、挫折と逆境の10年間を経て、音楽作りと自身の歌を取り戻す過程は、どん底を味わったことのある人たちへの、力強いエールとなり、また希望への道筋を照らしてくれることでしょう。
さて、オアシスの再結成はあり得るのでしょうか?
そのためには、兄ノエルとの若いが必須課題となります。母のペギーは、お互いが生きている内に仲直りすることを望んでいましたが、兄は「 ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ 」として活動を続けていますし、リアムはオアシスの幻影を振り払い、ソロ活動に自身の進む道を見出しました。
二人は解散以来、10年間、一度も顔を合わせていません。なんてファッキン頑固な兄弟でしょう。
リアムは作中、ノエルとばったり遭遇したらどうする?との問に、こう答えています。
「 ツルハシを持って追いかけるか、抱きしめてキスするかだな 」
彼らの物語にエンドクレジットには、まだ早いですね。これからも新しい伝説を生み出してくれることを願っています。
映画を観た翌朝、一年ぶりにランニングをしました。
酒とドラッグとケンカに明け暮れていた、あの問題児だったリアムが、今では早朝、橋から朝日の輝く景色を見るために走っているというシーンに、啓示を受けたからかも?
iPodで聴くBGMが「リアム・ギャラガー」だったのは、言うまでもありません。(完)