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元祖平壌冷麺屋note(183)

1日目:
タイのチェンマイ大学から短期留学として、神戸大学に通いながら、ゲストハウスMAYAに二週間滞在している二人の学生さんと友だちになった。

高校の時のオーストラリアと朝鮮、大学の時のイギリスと2回目の朝鮮、そして大人になってからのフランスでの体験。

海外に行って日本へ戻った時に、その国で出会った優しい人たちの言行などが、ずっと心の中で温かいまま残っているから、海外の人が日本で道に迷っていたり、言葉がわからなくて困っていそうな時は、いつもカタコトの英語で話しかけるようにしている。韓国から来た人には、朝鮮語で流暢に対話できるけど。

タイの学生さんの一人は、新潟から旅行中の日本人と二人で明石焼き屋でテイクアウトをしようとしていて、毎日、MAYAと明石焼き屋を通りかかっている自分は、メニューの案内を手伝ったのだった。

その流れで三人で自己紹介し合い、それぞれのことを少しずつ知ることができた。

2日目:
翌日、娘と御用へ夕食に向かう道、例のタイの学生さんが、同じタイからのルームメイトと散歩しているところに遭遇し、再会を喜び合い、少しだけ散歩の道案内をすることになった。

記念写真を撮って解散し、娘と御用で、焼きそば定食を食べ終えた後、帰る道で、またしても二人とバッタリ遭い、明石焼き屋へ向かっているので一緒に行こう、となり卓を囲んで歓談したのだった。

アロイー(美味しいのタイ語)という言葉を教わった時、妻と二人暮らしの頃に行ったタイ料理屋で、その言葉を店員さんから教わったことを、10年ぶりに思い出したのだった。

ナーラ(かわいいのタイ語)と連呼されている、自分の娘は、二人のために手描きのお面をプレゼントして、とても喜んでもらい、はにかんでいた。

先輩は後輩に支払いをさせない、というコリアン文化の常で、二人の明石焼き代を支払ったら、慌てていたので、家族でタイ旅行に行った際は、よろしくねと伝えたら、それでは連絡先を交換しましょう、と実現可能な再会の約束を交わすことになった。

3日目:
次の日の仕事帰りに、いつも通りかかるゲストハウスMAYAのソファからガラス越しに、おふたりさんが手を降っていたので、自転車を降りて挨拶をしたら、前日のお礼としてボクと娘の似顔絵付きのメッセージカードを手渡してくれた。

何だか海外のホームステイの最終日みたいだな、と懐かしく思いながら、ソファに置かれたギターを借りて、お返しに歌を歌うことにした。

家族以外の、人前で弾くはじめてのブラックバード。昨年、練習を始めたときから、いつかMAYAで誰かのために弾く日が来るだろうな、と予感していた。ブラックバードが、ようやく飛び立った夜。

4日目:
作業療法士を目指す、おふたりさんが、明石の病院で最後の研修を終えた足で、冷麺屋を訪ねてきた。若いって素晴らしい。

アボジが冷麺を練るところを見学して、初の冷麺を美味しそうに食べてくれた。アボジも神戸大学の卒業生だと知ると、「センパイですね」と2週間で覚えた日本語で笑っていた。

鉄人をまだ見ていないと言うので、まず鉄人28号の説明をし(ジャパニーズ・アニメ・ヒュージ・ロボット・アイアンマン)、道を教えてから、バイバイしたのだった。

食事代は、センパイであるアボジがサービスした。二人が慌てていたのを見て、学生さんなのだから勉強代に充ててね、タイに行ったらよろしく、と話していた。

どこかの息子のクローンみたいなことを話している。もうすぐ父の日だ。





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