見出し画像

編集協力をした『暗黙知が伝わる動画経営』

暗黙知と形式知、氷山のたとえ

 久しぶりに、僕が編集協力した本が世に出た。この7月10日のことである。一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生が監修し、ClipLIne(クリップライン)という動画サービス会社の高橋勇人社長が筆をとった『暗黙知が伝わる動画経営ー生産性を飛躍させるマネジメント・バイ・ムービー』(ダイヤモンド社)である。
  暗黙知とは、言語化や数値化が困難な、各自の思いやノウハウ、コツ、物事のタイミングを表わす知のことである。自転車の乗り方、ピアノの弾き方などは暗黙知の最たるものだ。
 暗黙知の対極的概念を形式知という。言語化、数値化が可能で、他者への伝達が、暗黙知に比べれば簡単な知のことだ。本や書き物、記号、数字、マニュアルを思い浮かべていただければいい。
 この暗黙知と形式知は別々のものではない。氷山のたとえを借りると、海上でわれわれが視認できるのが形式知、海面下にあり、わざわさ潜って目視しなければその存在をしかと確かめられないのが暗黙知である。風によって生じる波の高さによって、氷山の海面からの高さが決まるように、その境目も常に動いており、きちんと線を引くように、分けられるものではない。

知識創造理論=SECIモデル

 この暗黙知と形式知が組織の中で相互に転換しあいながら、組織全体の知が大きくなっていくメカニズムを、野中先生は自らの知識創造理論で実証し、そのメカニズムをSECI(セキ)モデルと名付けた。
 SECIの「S」は共同化、「E」は表出化、「C」は連結化、「I」は内面化を表わす、それぞれの英語から取られている。他者と共感して暗黙知を共有し(S)、その共感を概念という形式知にし(E)、その形式知を別の形式知と組み合わせて理論にし(C)、その理論を実践を通じて新たな知恵やノウハウに変換する(I)プロセスを示している。
 私がこの人を「先生」と呼ぶには理由がある。この20年余り、一緒に仕事をしてきたからだ。主には、リクルートワークス研究所の研究機関誌『ワークス』において、革新的な新製品や新サービスがいかに生まれたか、というそれぞれの生成プロセスを、企業などの開発担当者から聞き出し、その要因を探る「成功の本質」という連載を、私が編集者となり、続けてきた。
 現場の聞き取りが約1時半、それに対する野中先生による意味づけが1時間。連載は100回を超えたから、野中先生の講義を100回以上、聞いてきたようなものだ。
 僕には私淑する”先生”は過去の人も現在の人も含め、書物の世界ではたくさんいるが、面識のある先生は数少ない。ましてや、一緒に仕事をしたことがあるのは御年89歳のこの野中先生だけなのである(野中先生は経営学者であるが、軍事研究にも力を入れており、代表作としては、戦前の日本軍が敗北した要因を経営学および社会学の切り口から探った『失敗の本質』共著、ダイヤモンド社がある)。

牛丼の盛り付け法を動画にする

 このClipLIneという会社は、短尺動画のシステムを個別企業向けに構築している。
 どんな動画なのか。
 わかりやすい例を挙げると、牛丼屋で客に出す前の盛り付け作業をする従業員がいたとしよう。その技がみごとで手際もよく、全店舗に共有したいほどのレベルだする。そんなとき、その様子を動画で撮影し、ナレーターの解説と文字による要点が入った動画を作成し、全従業員がスマホで見られるようにすればよい。長くては駄目で、せいぜい1分くらいがいい。
 これが、写真入りの紙のマニュアルだと、まず内容を正確に記すのが大変だし、読むのにも難儀がいる。伝言ゲームのように、最初に意図したものとは、別のやり方が全社に広がりかねないというリスクもある。
 その盛り付けの達人を招いた実地の勉強会を各所でやればいい、となるかもしれない。これもまた、難しい。まず店舗の営業時間内の開催は無理だ。開催場所をどこにするか、誰を受講生として選ぶかも悩みどころだし、各自に移動のコストがかかる。
 このような問題が動画なら解決する。クラウド上にあげておけば、いつでもどこでも見られるし、教える側と教わる側が同じ空間、同じ時間を共有する必要はない。
 クリップライン社長の高橋氏は、この動画システムを、野中先生の提唱するSECIモデルという知識創造メカニズムに基づいて、作成した。特許も取っている。「映像音声クリップを利用した自律的学習システム」というものだ。
 この本に掲載されている、飲食チェーン、スーパー、美容室チェーン、回転寿司、中古車販売など、この短尺動画システムで大きな経営改善を果たした6社のチェーンの事例がわかりやすい。

チェーンのスタッフの能力向上と昇給を

 回転寿司、うどん、焼き鳥など、日本の飲食チェーンの海外進出が目覚ましい。その背景には食材自体の魅力もあるだろうが、顧客接点を担う従業員のきめ細かなサービスや気遣い(おもてなし!)も競争力の一要素を成しているはずだ。それもこの短尺動画システムを使えば、向上させることができる。問題は、そうして腕を磨いても、現状の日本の外食業においては、その評価が昇給に結びつきにくいことである。チップの習慣がないことも大きい。円安の影響もあって、日本の外食は訪日外国人に言わせると驚くほど安いそうだが、その背景には最前線のスタッフの頑張りが報われていないということも大きいのではないか。
 この動画システムを活用する企業が増えることで、チェーンストアで働くスタッフの能力が上がり、それが昇給に結びつくというインパクトが業界に生じることを期待したい。




 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?