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書店Titleで買ったサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

自宅から十数分のお気に入りの本屋

私の馴染みの本屋は何軒もあるが、そのうちの現時点でのマイベストを挙げると、東京・荻窪のTittle(タイトル)になるだろう。独立系の新刊書店で、書店としての完成度と、品揃えに新旧がうまくない混ざったオリジナル性があるのはもちろんのことだが、店主の辻山義雄さんが何冊もの著作を持つ文筆家、という貌(かお)を持っていることもあいまって、知名度は全国区だ。
 
店の奥にあるカフェもいい。基本的に1人客優先のつくり(カウンター4席、1人がけのテーブルが2席)で、コーヒーがうまいし、スイーツも充実している(今の時期はリンゴのタルトがおすすめだ。見た目はまるで黄茶びた沢庵のようなリンゴの切片がタルト生地の上に贅沢に敷き詰められている)。
 
JR中央線・荻窪駅から青梅街道を西に徒歩13分の立地。私はその荻窪の逆側から、これまた13~15分ほどかけて、自宅から青梅街道を東に向け、自転車を走らせていく。そう、この近さもいいのだ。
 
以前は肉屋だったいう二階建ての建物をリノベーションしたもので、店内は木製の床。その木の感触が足裏に何とも心地よい。柱も木のそれだ。店内を歩いているだけでリラックスできる。森林浴なる「本浴」とも言うべきか。たとえ気ぜわしい気持ちで訪れても、自然に息が深くなり、気ぜわしさが雲散霧消、一心に書棚に目を走らせている自分がいる。

店主が絶賛したサリンジャーの短編集

最近は週1くらいで訪れているが、今週購ったのは、J.D.サリンジャーの
短編を9つ集めた、文字通りの『ナイン・ストーリーズ』。今年1月、河出文庫から発売されたホヤホヤの新刊で、柴田元幸さんによる新訳である。

実はこの作品集は読みたくてたまらなかった。その理由は、店主の辻山さんが自著『本屋、はじめました』(ちくま文庫)にて絶賛していたから。それくらい気に入った本なら店内に並べているだろうと、何回も棚を探ったが、同じサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳、村上春樹訳の2冊。いずれも白水社。ただ、村上版のタイトルは原題の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)しか見当たらなかった。

それが、今週、見つかったのである。その月に発刊された(おそらく)「店主推しの今月の文庫本)が置かれた場所に!

これは買うしかない。レジに立っているのは辻山さんその人である。さすがに、「この本をご自分の著書で紹介されていましたよね」と声をかける勇気は私にはなかった。

とはいえ、辻山さんがカバーをかけてくれ、お釣りとともにこちらに本を差し出し、「ありがとうございました」と告げた言葉が、いつもより音量が強かったように感じた。

会話に魅せられる

9つの短編はどれも面白く読めた。おしゃれなようでおしゃれではない。明るいようで、決して明るくない。

サリンジャーは会話文の天才である。地の文よりも、会話を通じて事情を説明し、時間を進め、読者の感情を揺さぶり、物語に引き込んでいく。終わり方も特徴的で、一言でいえば、あっけない。でもそこに何ともいえない余韻が残る。

いちばん印象的だったのは、「エズメに、愛と悲惨を込めて」という七番目の作品だ。主人公は、アメリカ陸軍の下士官で、1944年6月に敢行された独逸支配下の仏領土への連合軍による侵攻作戦、いわゆるノルマンディー上陸作戦に参加するため、イングランドで、英国諜報部の講習を受ける60人のうちの1人だった。

ひょんなきっかけで、主人公は3週間もの講習が行われたその町に暮らす13歳の娘と5歳になるその弟と、町にあるティールームで会話して親しくなる。本当は小説家志望だという主人公の夢を聞いた娘は、「いつか自分が主人公の作品を書いてほしい」と、別れ際に彼に頼む。

ここまでが愛の物語で、悲惨な物語がここから始まる。戦後、彼はノルマンディーはじめ、悲惨な戦場をいくつも経験し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症していた……。

PTSDで苦しんだサリンジャー

ここで、サリンジャーの経歴を見て驚いた。彼は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍に入隊し、かのノルマンディー上陸作戦に参加していたのだ。しかも、その後、深刻なPTSDにも見舞われている。その体験がこの作品に色濃く反映されているのだろう。

世界的ベストセラーになった『ライ麦畑でつかまえて』を上梓したのが、戦後の1951年、この『ナイン・ストーリーズ』は1953年、34歳時の作品である。その後、いくつかの作品を発表するものの、多くはニューハンプシャー州での隠遁生活で人生を構成し、2010年に91歳で没した。長寿ではあったものの、PTSDに最期まで苦しんだのかもしれない。
 

 


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