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おいしいミカンを求めて

最近、ミカンには当たり外れが大きいと感じている。味が甘くて、中(房)の皮が薄く、種が入っていないもの。それがおいしいミカンだ。逆に、すっぱくて、皮が厚く、種が、多い時には一つの房に2個以上入っているもの。これがおいしくないミカンだ。

最近、おいしくないミカンばかり食べている。いずれもスーパーか、青果店を名乗る個人商店で贖ったものだ。もう盛りの季節は過ぎたか、ミカンそのものを置いていない店もある(むしろ、ポンカンの季節らしい)。でもミカンが食べたい。それもおいしいミカンが。

今日はそのミカンを買うべく、町に出た。今日はどこで買おうか。手で触ったり、目でみても、味の真贋はなかなかわからない。決め手はその場での見定めより、やはり、店かな。

そのうち、目についたのが、駅前の果物専門店である。宇和島産のミカンが8個で500円で売られている。専門店というより、吉祥寺、ハモニカ横丁の一角だ。今日はここで買ってみよう。

ベレー某をかぶった人懐こそうなおじさんが、「これから雪になるのかねえ。田舎であれだから、東京で同じくくらいの雪が降ったらテイヘンなことになるよね」と、世間話の王道、天気の話をしてくる。僕がよく行くスーパーや、青果店では、売り子さんと話をするのは、考えられないことだ。

そのおじさんは袋に入れてくれたミカンを(袋は2円かかります、とか野暮なこともいわない)僕に手渡すと、こちらが差し出した100円玉5枚を、中身も確かめないまま、すぐ横に吊らられている籠のなかにジャーと入れる。この人は触っただけで、100円玉5枚とわかるのかなあ、すごいなあ。それとも客を全面信頼しているのか。

そのミカンを家で食べた。うまかった。皮は薄く、味は甘く、種は入っていなかった。

考えてみると、そこは青果店ではなく、よろず取り揃えたスーパーでもなく、果物専門店である。そのメイン商品たる果物の味が悪かったら、店は途端に潰れてしまう。仕入れと、適切なタイミングの品出しに、細心の注意を払っているに違いない。

「何でも売っている」は、しょせん、平均的なものを幅広く取りそろえているに過ぎない。

これを、僕もその一端を担うライターの仕事に置き換えると、「何でも書けます」は、「平均的な内容で」「可もなく不可もなく」みたいな内容なら、という条件がつくだろう。

僕はどちらかといえば、果物専門店として、おいしい「ミカン」を読み手に届けたいと思う。



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