映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)を見て

昨年に引き続きドラえもん映画の感想をつらつら書きます.今回も中学校の同級生と鑑賞.正直,両隣に友達がいなかったら3回くらい泣いていたかもしれない.
今回のテーマは「みんな違ってみんな良い」.いろんな考え方の人がいるから世界は面白くて,互いの個性を認め合ってこの世は成り立っているという基本的なことをのび太たちに教えてもらった.

ここからは多少のネタバレになるかもしれないが,映画を見て感じたことを書いていく.

争いのない世界,もちろんそんな世界があったら最高なのだが,そんな世界はタイトル通り"理想郷".実現するには今のところ,権力集中の下,大半の人は平等かつ平和に見えるかもしれないが,管理者の支配を受けざるをえない.中にいる人が幸せならそれでいいじゃないかという意見ももちろんあるだろう.考え方に正解などないのだから.「本人がよければそれでいいじゃないか.」という考え方は素直に肯定できるものではないと思う.それは他人を尊重している風で,思考の放棄とも捉えることができる.他人の行動にアレ?と思うことは少なからずあると思う.自分の意見を言うべきか,本人が楽しそうだから放っておくか.これはとても悩ましい.些細な衝突すら苦手と感じる人は多く,自分もそれに該当するので,なるべく相手の機嫌を損ねない選択肢を選んでしまうことが多い.結局自分を守ることしか考えてないのだ.とても恥ずかしい.大人になったら少しは変わると思ってたけど,年齢を重ねてむしろ保守的になってしまった気がする.あ,,,これも個性ってやつか..

三賢人の支配システムについて.本当は三賢人などおらず,人を操る光の研究をしているレイ博士がパラダピアを支配していたのだが.洗脳,独裁においてはとても都合のよい方法だと感じた.わざと3人に力を分散することで,見かけ上は独裁色が薄い.確かに三賢人が支配する世の中なのだが,トップが一人のケースよりも「統治者に支配されている」という意識は芽生えにくい.細かな設定だが,気づいたときにはハッとした.

小学生ながらトマスモアのユートピアを教室で読んでいた出木杉君.彼はお約束通り理想郷には連れて行ってもらえないのだが,もし彼も一緒だったらどうだったのだろう.パラダピアには勉強も運動もできて出木杉と同じような良い子がわんさかいる.その中にナチュラル良い子の出木杉君が入ったらどうでしょう.もとから聖人の彼はのび太と同様に(全く別の理由で)洗脳の光の影響を受けず,通常運転なのだろうか.いや,逆に自分の個性がつぶれる瞬間を目の当たりにし,多少非行に走るのが現実的か.後者を期待する私のような汚い心の人間こそパラダピアで洗脳の光を受け,清らかな作られた心にされるべきだ.

研究室の先輩に映画のプレゼンをしたら,相当気になったみたいで,最寄りの映画館のスケジュールをさっそく調べていた.就活で疲弊していた先輩が少しでも元気になるといいな.

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