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オリアナ号

1987年から1995年まで、 別府湾に4万トンもある大きな客船が停泊していました。
名前は、「オリアナ号」です。

別府湾のオリアナ号

と言っても、動く事はできません。引退船で、元は1960年、イギリスのP&O社が造船した船で、イギリスからオーストラリア迄の定期航路として使用していた物だったそうです。
当時の豪華客船でした。
東京オリンピックの時は、横浜に停泊して、海上ホテルにも使ったらしいです。
その船が引退して別府へ来ました。
別府へは海上ホテルにしようと思っていたらしいのですが、別府の旅館組合からの反対で、出来なくなり、ミュージアムとして利用されていました。

船内は13.4階程あった記憶があります。
アールデコ調の船内は、客室や、船長室、操舵室の見学などが出来、昔の優雅な船の旅を演出していました。

デッキの浮き袋
スクリューも、デッキに飾っていました。


そこまで古くはありませんが、「タイタニック」の様なイメージをしてもらえると良いと思います。
キャッチコピーは、「白い貴婦人」でした。
デッキには、ボーリングのラインが引いてあり、あとゴルフもできていたそうです。

そこで何度もパーティやポスターの撮影をしました。
クリスマスの撮影はとても映えました。
別府は、日本でも指折りの夜景を誇っていますから、とても絵になる船でした。
船の案内クルーには、イギリス人の女の子達がつたない日本語でしていました。

そういえば、ある春の日、制作会社から花見に誘われました。
墓地公園という山の頂上付近で、紅白幕で囲んだ10畳程の場所に、誘われた花見客は50人ほどで、社長夫人のお手製おでんの鍋を真ん中に、お惣菜が周りを囲み宴会が開かれました。一番凄いのは、発電車を持って来ており、煌々とライトがその場所を照らしていた事です。
そこには、オリアナ号で働いているイギリス人の女の子達も、6人程呼ばれていて側から見たら撮影にしか見えません。
さすが、女の子達が居るだけで、華やかな雰囲気になりました。
何人にも、「何の撮影ですか?」「誰か芸能人が来ているんですか?」など聞かれました。
単なる一会社の花見なんですけどね。
それにしても、大分には墓地の中の花見が出来る公園があるのにはビックリしたものです。
墓の隣で宴会しているのですから。


結局、オリアナ号は観光には役に立たず別府湾からいなくなりました。
だった8年でした。
ここがホテルになっていたら、話は別だったかもしれないと思っています。
温泉でも引いて、海と同じ目線で入れるお風呂などあったら楽しかったでしょうね。

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